坂道雑文帳

乃木坂とか欅坂とかけやき坂とか。 / dont@forgetme.xyz

ひらがなけやき、アイデンティティの淵源。(3)

・またしても訪れる転機

 Zepp Namba公演のあとに迎えた夏。ひらがなけやきは、2017年7月6日のZepp Nagoya公演を成功させ、7月22・23日の「欅共和国2017」、8月の全国ツアー「真っ白なものは汚したくなる」にも漢字欅と合同で参加し、さらにライブパフォーマンスを向上させていた。
 この間、7月19日に発売されたアルバム「真っ白なものは汚したくなる」には「永遠の白線」「沈黙した恋人よ」「猫の名前」「100年待てば」と、ひらがなメンバーが歌唱する楽曲も収録され、8月15日には追加メンバー9名の発表があり、8月29日の全国ツアー幕張公演ではひらがなけやき初主演の連続ドラマ「Re:Mind」の制作が発表されるなど、さらにひらがなけやきに勢いを与える好材料が続いた。

 そんななか、9月24日深夜放送の「欅って、書けない?」で発表されたのが、長濱ねるの兼任を解除し、漢字欅の専任とすることだった。
 ファンの間でも、かなり唐突に感じる発表だったと記憶している。しかし一方で、長濱のライブでの参加曲数などを見ても、「いつか専任になるのかもしれない」という予期があったことも事実である。
 もしかしたら、予兆もあったのかもしれない。Zepp Nagoya公演のセットリストに「乗り遅れたバス」が入っていたことは、少し不思議でもあった。近年はあまり披露されることのない(2018年8月現在、このときが最後となっている)、長濱が漢字欅に「乗り遅れた」ことを象徴した曲。いまとなっては、正しい文脈のなかで披露する最後の機会だったようにも思える。

 一方で心配されたのは、Zepp Sapporo公演(9月26日)のことだった。
 メンバーは当然もっと早く知らされてはいただろうが、兼任解除の発表から実質翌日の公演である。筆者もいくぶん動揺しながら、ライブビューイングに足を運んだことを覚えている。
 しかし、初ワンマンライブから半年という早すぎるタイミングで直面した、このメンバー喪失の経験が、ひらがなけやきをよりいっそう強くすることになる。

Zepp Sapporo公演、佐々木久美の胸中

 「私たちは別の道を歩き始めました。」
 Zepp Sapporo公演当日。もう恒例となった、佐々木久美が引っ張るMC。ライブ序盤においては長濱について触れるのは最小限にとどめ、ファンを後悔させるようなライブはしない、と強いメッセージを送った。
 漢字欅と合同の全国ツアー「真っ白なものは汚したくなる」を挟んで迎えたこの日のセットリストには、アルバムでの新規曲「猫の名前」「沈黙した恋人よ」「永遠の白線」「太陽は見上げる人を選ばない」がすべて組み込まれるなど、さらに意欲的なセットリストとなった。

 そしてアンコール。「この場を借りて話したいことがある」と、佐々木久美がもう一度口を開く。
 全国ツアーを12人で完走するものだと思っており、メンバーも戸惑ったということ。長濱ねるを含めた12人で話す機会があり、長濱から「グループは一緒だし、永遠のお別れなわけじゃない」と言われたこと。時折少しだけ言葉を詰まらせながら、率直に思いの丈を口にした。そして、ひらがなけやき12人でやってきたことを糧に、新メンバー9人を加えた20人で成長していきたい、と前向きな言葉で締めくくった。
 メンバー全員を代表してファンに力強いメッセージを送る佐々木久美のキャプテンシーは、この頃から徐々に形づくられてきたものかもしれない。キャプテン就任の発表はこの8ヶ月以上後のことになるが、すでに佐々木久美はキャプテンとしての役割を果たしていたのである。

 少し余計なことも書いておきたい。この日のオープニングで披露されたマーチングドラムのパフォーマンスにおいて、佐々木久美はドラムのベルトが外れてしまうトラブルに見舞われ、途中までしかステージに立つことができなかった(アルバム「走り出す瞬間」特典映像ではカットされているが、パフォーマンス開始時には11人だったメンバーが終了時には10人しかいないことが確認できるはずだ)。ライブ中盤のMCではこのことに対する言及もあり、悔しさから涙を見せる場面もあった。
 しかしその後のパフォーマンスに影響はまったく見せず、そんな状況のなかで迎えたのが前述のアンコールであった。佐々木久美の強さと成長を存分に垣間見た思いだったことをよく覚えている。

・いち早くメンバーの喪失を経験して

 早すぎるタイミングでメンバーの喪失を経験したことが、グループの強さにつながった、と前述した。それが端的に現れているのが、「永遠の白線」のパフォーマンスである。
 この曲の最後では、メンバー12人がそれぞれひとりずつ自分のポーズをとる振り付けがあり、長濱ねるは手のひらを顔の横で合わせて「寝る」ポーズをとっていた。兼任解除によってこの部分が欠番になってしまうところを、Zepp Sapporo公演以降は一貫して、残るメンバーが全員で長濱のポーズをとる形の振り付けに変更している。
 同じことは、学業のため現在休業中である影山優佳についても行われている。「永遠の白線」では残るメンバー10人が、「NO WAR in the future」ではペアのポジションである渡邉美穂が、影山のボールを蹴るポーズを振り付けに取り入れている。

 大人数のグループである以上、何らかの要因で外れてしまうメンバーは遅かれ早かれ必ず現れる。それを戦力ダウンにつなげないためには、ポジションをカバーするだけではなく、可能な限りポジティブに受け入れ、それを示すことで「なかったことにしない」ことも重要なのではないだろうか。このことを早い段階から理想的な形で達成してきたのが、ひらがなけやきなのである。
 最初に欠けたメンバーが、ひとりで「ひらがなけやき」を始めた長濱ねるだったことも大きかったかもしれない。また、卒業や引退といった形ではなく、欅坂46という大きなくくりの中には残る兼任解除という形だったことも、いくぶんポジティブに受け入れやすいという点で大きかっただろう。

 早い段階で、「メンバーが欠けても、そのメンバーと歩んできた歴史がなくなるわけではない」ことを感覚的に理解し、それをパフォーマンスの中で示せる明るさを手に入れたこと。これがあれば、グループに感じる「勢い」は簡単には削がれないだろう。これもまたひらがなけやきの強みであるし、長濱ねるが残した財産でもあると思うのだ。

ひらがなけやき、アイデンティティの淵源。(2)

・「アンダーグループ」からの解放

 2017年4月6日、代々木第一体育館で開催された、欅坂46「1st ANNIVERSARY LIVE」。漢字欅のデビュー1周年の区切りの公演であったが、ひらがなけやきにとっても非常に重要な公演となった。
 アンコールにおいて「ひらがなけやきパワーアップ計画」として、追加メンバーの募集がアナウンスされたのである。
 「けやき坂46ストーリー」(週刊プレイボーイ)によれば、この発表は当初、メンバーにかなりショックを与えたようである。さらに、サプライズ発表の形であったにもかかわらず、リハーサル中の事故からメンバーは公演前にすでに知ってしまっていたとのことで、そのようななかで公演に臨んだメンバーの心中は察するにあまりあるものがある。

 ただ、筆者は当時、いくぶんポジティブにこの発表をとらえていた。直前のZepp Tokyo公演ですでに全国ツアーの開催もアナウンスされているなかで「ひらがなけやきの増員」(「欅坂46の増員」ではなく)を行うことは、選抜制の導入という形で現状の漢字欅ひらがなけやきを当面は解体しないというメッセージと受け取れたのである。
 当時は、ひらがなけやきが「アンダーグループ」と呼ばれていたことから(この時期にはかなり濁されるようにはなっていたが)、乃木坂46と同様の選抜/アンダー制が導入されるという見方に一定の存在感があった。また、かつての乃木坂46が16人の選抜メンバーを基本としていたことを考え合わせれば、当時総勢32人だったメンバーをシャッフルして2チーム制にするという観測は、数字の上でも説得力をもっていた。
 しかし「ひらがなけやきの増員」によって、その根拠は崩れることになる。これでむしろ、「『ひらがなけやき』とは何なのか」という漠然とした不安からの解消にもつながるのではないかと考えた。

・「ひらがならしさ」の追求、Zepp Namba公演

 2017年5月31日、ひらがな全国ツアー2017・Zepp Namba公演。
 ひらがなけやきにとって、この日が大きな転換点だったと筆者はとらえている。ライブとしての大枠はZepp Tokyo公演を踏襲しつつ、あらゆる側面からの「ひらがならしさ」の追求が、このとき始まったように思う。これが、現在まで続くひらがなけやきの強みのひとつ、「ハッピーオーラ」の淵源だ。

 まず、MCが大きく変わった。有明コロシアム公演以降、MCの回しを担ってきた佐々木久美だが、Zepp Tokyo公演、「1st ANNIVERSARY LIVE」と上達を続けていたものの、まだまだ緊張が声に現れていると感じる場面が多々あったと記憶する。しかしこのZepp Namba公演では、佐々木久美の回しもスムーズであり、急激な上達がみられた。他のメンバーも全員がリラックスした様子で、MCでも観客を楽しませようとしていた。初めての地方公演、しかも「関西弁」「たこ焼き」とわかりやすい話題が多い大阪であったこともプラスに働いていたかもしれない。これ以降、地方公演でのMCでは、食べ物に関する話題が定番になっていく。

 そして曲目に関しても、転機となるひとつの大きな変更があった。
 「サイレントマジョリティー」が、セットリストから消えたのである。

・解かれた「呪縛」、サイレントマジョリティ

 デビュー曲がヒットすることは「呪縛」といえるかもしれない(ぜいたくな物言いであることはわかっている)。ともすれば一発屋ともとられかねず、そこまでいかずとも2曲目以降にもイメージが影響してしまうおそれがあるからだ。
 漢字欅にとって、「サイレントマジョリティー」は確実にひとつの「呪縛」であった。「世界には愛しかない」「二人セゾン」期においても、何度「笑わないアイドル」などと呼ばれたかわからない。
 漢字欅はこの「呪縛」を、「不協和音」を筆頭に「サイレントマジョリティー」的な路線をさらに突き詰め、本当の意味で自分たちのものとしていくことで打ち破ってきた。

 一方ひらがなけやきとて、この「呪縛」は例外ではない。別働隊であっても、曲をカバーしてライブに立っている以上、「サイレントマジョリティー」の影響力は大きかった。「ひらがなおもてなし会」でいちばん盛り上がったのは、長濱ねるをセンターに置いて「サイレントマジョリティー」が始まったときであったし、Zepp Tokyo公演においてもセットリストに入り、会場を沸かせていた。
 「サイレントマジョリティー」を披露すれば、盛り上がることはある意味わかっている。「サイマジョを見たかった」と思うファンもいたはずだ。それでもなお、この日にセットリストから外され、以降一度も披露されたことはない。

 これこそが「ひらがならしさ」の追求の端緒を表したわかりやすい例だといえるだろう。
 漢字欅に目を向けると、この時期は「不協和音」や「エキセントリック」でハードな表現を追求していた頃である。その路線のはじまりの曲であり、漢字欅にとって象徴的な曲でもある「サイレントマジョリティー」を、ひらがなけやきが自らのアイデンティティを確立していくためには、セットリストから勇気を持って外す必要があったのである。
 ひらがなけやきもまた、「サイレントマジョリティーの呪縛」を解いたのであった。

 またこの日は奇しくも、ひらがなけやき追加メンバーの応募が始まった日でもあった。
 2017年5月31日。この日にひらがなけやきの歴史は急速に動き出したのである。

ひらがなけやき、アイデンティティの淵源。(1)

・「ひらがなけやき」とは何なのか

 「ひらがなけやき」とは何なのか。
 それは、彼女たちを追いかけてきたファンであれば誰しもが突き当たる問いであろう。あるいはそれより、他の誰よりもメンバーたちが追求し続けてきた問いであるともいえるだろう。
 当初は「欅坂46のアンダーグループ」として構想された「けやき坂46」は、2回のオーディションと数多くのライブなどを経て独自のアイデンティティを身につけ、単独アルバムのリリースを経た現在では「姉妹グループ」として紹介されることが多くなっている(「下部組織」と紹介されていた時代がもはや懐かしい)。「いま勢いのあるグループ」と評価されることも増えてきたように感じる。

 筆者はひらがなけやきのライブ公演については、かなりの数に参戦してきた。2017年のZeppツアーはライブビューイングを含めれば全公演(東京幕張は各1公演のみ)、日本武道館3DAYSには2日間、おもてなし会も1期2期とも、「走り出す瞬間」ツアーには計4公演、といった具合である。
 本稿は、そんな筆者が追いかけてきた限りのひらがなけやきの歴史を通して、彼女たちがアイデンティティを身につけてきた過程について振り返り、この「勢い」がどこからくるのかを探ろうとするものである。

・手探りの「ひらがなおもてなし会」

 ひらがなけやき初の単独イベントとなった「ひらがなおもてなし会」(2016年10月28日)を振り返ると、メンバー個々のポテンシャルの高さは随所に見えていたものの、何もかもが手探りだったんだな、と改めて感じさせる。
 メンバーが自己紹介したキャッチフレーズやキャラクターが現在ほぼ生き残っていないことはまあ当然のことであるとしても(そのなかにあって「ラーメン」「バビ語」を現在も続けている齊藤京子はさすがだ)、MCで中心的な役割を果たしていたのは長濱ねるであったし、ミニライブのパートで披露された「サイレントマジョリティー」「世界には愛しかない」「ひらがなけやき」の3曲でも、すべて長濱がセンターポジションを務めていた。
 経験してきた場数を考えれば仕方ないといえば仕方ないのだが、兼任などですでに多忙であった長濱をかなりの部分で頼ったイベントであったな、という正直な感想がある。

 その他にもこの「ひらがなおもてなし会」は、チケットが500円という破格の設定であった上に(これは漢字欅の「おもてなし会」と同じだが)、メンバーが赤坂サカスでチケットをゲリラ的に手売りするなど、新人らしい試みもみられた。すでに人気メンバーであった長濱の存在を考えればやりすぎともいえる状態だったが、全国握手会でのひらがなメンバーレーンの過疎ぶりを思い出せば、一定以上に危機感のようなものもあったのかもしれない。

・原型としてのZepp Tokyo公演

 しかし、この「長濱一強」のような状況はすぐに変化していく。
 まず、直後のライブであった有明コロシアムでの「欅坂46ワンマンライブ」(2016年12月24日・25日)では、ひらがなメンバーによるMCを佐々木久美が回すようになった。これが現在まで変わらず続いているのは周知の通りである。
 そして、次のライブとなったZepp Tokyoでの単独公演(2017年3月21・22日)では、フォーメーションの面でも変化があった。「世界には愛しかない」のセンターが影山優佳に変更されたほか、新たにセットリストに加わった「二人セゾン」のセンターを柿崎芽実が、ソロダンスを井口眞緒が務めたのである。
 ほかにも「手を繋いで帰ろうか」が齊藤京子高本彩花を中心に披露され、ユニット曲のコーナーや洋楽曲のコーナーも設けられるなど、メンバーそれぞれの個性が光る場面が随所にみられ、以後始まる全国ツアーの原型となった公演となった。

・「センターが静かに代わる」強み

 ここにみられるひらがなけやきの強みのひとつが「センターが流動的であること」である。漢字欅の曲をカバーする形でパフォーマンスをするなかで、前述のように多くのメンバーがセンターポジションを経験した(これらのほかにも、ツアーの中では加藤史帆が「制服と太陽」で、齊藤京子が「語るなら未来を…」でセンターを務めている)。
 このような下地もあってか、ひらがなけやきのオリジナル曲ではセンターが頻繁に交代している。長濱在籍時(「永遠の白線」までの4曲)は長濱+柿崎で長濱の兼任解除後は柿崎へ移行、「それでも歩いてる」「NO WAR in the future」では齊藤、「イマニミテイロ」「期待していない自分」では佐々木美玲、「ハッピーオーラ」では加藤史帆、という具合である。また、2期生曲では小坂菜緒がセンターを務めている。

 これらをもって、平手友梨奈をセンターポジションに固定している漢字欅と対照的である、と述べるのは容易い。しかしそれ以上に、AKB48以降、坂道シリーズも含め、そこに誰が立つかということがドラマであり続けた「センター」という仕組みを解体したことによる強みがあるように思う。
 メディア露出が少なかったという要因もあったのかもしれないが、2018年8月5日放送の「ひらがな推し」で「ハッピーオーラ」のポジションが発表されるまで、センターを含むポジションが公式や各メディアで特段あげつらわれることはなかった。「センターは誰だ!?」と煽られることもなければ、センターメンバーをライブステージ以外で何かの矢面に立たせることもなかったわけである。

 センターが交代すればそれだけグループは違った表情を見せるし、センターを経験したメンバーは確実に成長する。ポジションをめぐる環境が静かななかでセンターが流動的に交代し続けたことは、ひらがなけやきのパフォーマンスを確実に向上させ、ライブで肌で感じる「勢い」を形成してきたのだ。

「制服のマネキン」、「再構築」に思う

・新たな「制服のマネキン

 「制服のマネキン」が乃木坂46の代表曲のひとつである、ということを否定するファンはほとんどいないだろう。生駒里奈をセンターに据えた4枚目のシングルであり、前作までの曲調から大きく変化がつけられ、ある意味乃木坂46というグループを新たに方向付けることにもなった曲。
 2012年のリリース以来、幾度かの振り付けの変更を経てきた曲でもあるが、2018年7月6日~8日に開催された「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」では、ほぼ全編にわたって再度振り付けに変更が加えられ、「再構築」がなされた。
 本稿ではこの「再構築」をきっかけとして、これに着目しつつ、「制服のマネキン」を軸として坂道シリーズの軌跡をたどってみようとするものである。

・「生駒里奈の曲」として

 「制服のマネキン」は、生駒里奈がセンターを務めてきた表題曲6作のなかでも特に、彼女自身のイメージが強くついた曲といえるだろう。短髪の少女がセンターに立つMVはいかにも印象深く、「乃木坂46の顔」としての生駒里奈を物語る作品であった。
 同じく生駒里奈がセンターを務め、グループの代表曲といわれる「君の名は希望」とは、その点で対照的でもある。「君の名は希望」は「乃木坂46全体の曲」というイメージが強い。「センター」を置いたダンスパフォーマンスよりも、合唱のような形で披露されることが多かったこともあるし、生田絵梨花のピアノの印象の強さや、グループとして初めて紅白歌合戦に出た曲だということもあるだろう。
 生駒里奈がセンターを務めた他の曲に目を向けてみても、「ぐるぐるカーテン」はデビュー曲として特別な形で取り上げられることがほとんどで、「おいでシャンプー」は近年はアンコールで用いられることが多く、また中田花奈のイメージも強い。「走れ!Bicycle」は自転車を使う演出などで飛び道具的に使われた印象も強く、「太陽ノック」は「夏曲」のひとつとして、ライブ中での役割や季節性が明確であり、「神宮」のイメージも強くある。

 誤解を恐れずにいうならば、「制服のマネキン」には、筆者の中ではこれらのような特別なイメージはない。代表曲であり、ライブでも定番の曲として、おおむねセーラー服の歌衣装と、時折の特殊効果の演出をともなって披露されてきた。
 そしてそのセンターには、いつも生駒里奈がいた。
たぶん私が死ぬまで、私の代名詞になるでしょう。そう、言わせてください。
 自らの卒業コンサートでもそう語った生駒自身が自任するように、「制服のマネキン」はずっと、生駒里奈を物語る曲としてあり続けたのである。

・後輩へのバトン

 一方で「制服のマネキン」は、後輩グループとのつながりが深い曲でもある。
 いまや欅坂46の不動のセンターとして、押しも押されもせぬ存在になった平手友梨奈は、生駒里奈との対談において(『AKB48Group新聞』2016年7月号)、「制服のマネキン」のMVを目にしたことがアイドルに興味をもつようになったきっかけであると語っている。

 欅坂46とのつながりは平手のエピソードだけにとどまらない。デビュー曲ができる前の欅坂46は、パフォーマンスの機会において「制服のマネキン」を披露する機会が多かった。初めての音楽番組への出演となった2015年12月16日のFNS歌謡祭(第2夜)では乃木坂46AKB48とのコラボで「制服のマネキン」を披露。初のライブ出演となった2016年1月30日の「ALL LIVE NIPPON VOL.4」オープニングアクトでも、グループ全体での披露曲には「制服のマネキン」が選ばれた。
 エピソードはさらに続く。欅坂46漢字欅)の初出演から1年後、2016年12月14日のFNS歌謡祭(第2夜)では「乃木坂46欅坂46の新メンバー」として、乃木坂46の3期生とけやき坂46ひらがなけやき、当時は長濱ねるを含む1期生12人)が呼び込まれ、乃木坂46(選抜メンバー)と漢字欅を含めたコラボの形で、またしても「制服のマネキン」が披露された。

 さらにFNS歌謡祭では、2015年・2016年とも、後輩メンバーを画面に呼び込む役割を生駒里奈が担っている。表だってグループどうしでコラボという形がとられることが多くないなかで、「制服のマネキン」は数少ない、坂道シリーズ間でのつながりを感じさせる曲であったし、その場所にもやはり、生駒里奈がいたのである。

・ひらがな武道館、生駒へのはなむけ

 生駒里奈ひらがなけやきのつながりとして、もうひとつ述べなければならないことがある。
 2018年1月30日~2月1日の3DAYSで行われた、ひらがなけやき日本武道館公演だ。この公演では3日間にわたり、加入したばかりのひらがなけやき2期生のコーナーが設けられ、日替わりで乃木坂46の楽曲が披露された。初日は「おいでシャンプー」、2日目は「君の名は希望」、そして3日目が「制服のマネキン」であった。
 また一方で、公演2日目にあたる1月31日は、朝の日刊スポーツで生駒里奈が電撃的に卒業を発表するという、坂道シリーズとしても大きな出来事が起こっていた。

 いちファンにすぎない筆者の空想だが、ひらがなけやき2期生が披露した3曲は、生駒里奈へのはなむけとしてセットリストに加えられたものだと思っている。
 筆者は公演初日と2日目に参戦した。初日の興奮冷めやらぬなかに卒業発表の報に接し、混乱したまま2日目の客席についたことをよく覚えている。「君の名は希望」のイントロが流れたときは驚いた。そして、これは生駒里奈へのはなむけだ、と確信したのである。客席のペンライトは緑が半分、紫が半分に自然と変わっていて、それは生駒里奈が先頭に立って切り拓いてきた坂道シリーズの現在地そのものであった。

 そして3日目に披露されたのが、「制服のマネキン」。
 前述のように、漢字欅ひらがなけやき1期生も披露してきた曲であることは、2期生にも十分に伝わっていたようで、何名かのメンバーがブログでも言及していた。
 なかでも、小坂菜緒の「制服のマネキン』は、坂道グループが絶対に通る大切な曲です。」という言葉が、筆者は特に印象に残っている。
 「絶対に通る大切な曲」。これをある意味「自分の曲」として守り抜いてきたのが、生駒里奈だったのだ。

・「代名詞」の「再構築」

 そして4月22日、同じ日本武道館で開催されたのが、生駒里奈卒業コンサートであった。
 ライブ本編最後の曲であった「制服のマネキン」について、「たぶん私が死ぬまで、私の代名詞になるでしょう。そう、言わせてください。」と生駒がコメントしたのは前述の通りである。
 本編最後ということはつまり、歌衣装でパフォーマンスする最後の曲ということでもある。その曲に「制服のマネキン」が選ばれたことは、ある意味当然のことだったかもしれない。

 その曲が、直後の全体ライブにあたる「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」において「再構築」されて披露されたことの意味はとても大きいと考えているし、これもまたある意味当然のことだったかもしれない。
 生駒里奈が守り抜いてきた「制服のマネキン」はもうそこには存在し得ない。しかし代表曲として、あるいは表題曲のひとつとして、「制服のマネキン」は披露され続けなければならない。だからこその「再構築」である。
 変に取り繕うことなく、「いまの乃木坂46」がもつ新たな形で「制服のマネキン」を披露する。これも、卒業生として羽ばたき始めた生駒里奈への、大きなはなむけのひとつだったのかもしれない。

「アンダー」について、ふたたび(シンクロニシティ・ライブによせて)

・バースデーライブの新たな形

 2018年7月6日~8日、乃木坂46「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」が「真夏の全国ツアー2018」の皮切りとして開催された。今回は、それまでバースデーライブの「全曲披露」というコンセプトを変更し、恒例となった明治神宮野球場に加え、秩父宮ラグビー場も会場として用いた、2会場同時開催の「シンクロニシティ・ライブ」として行われ、筆者も3日間、それぞれ秩父宮・神宮・神宮会場で参戦した。

 「シンクロニシティ・ライブ」というコンセプトについて本稿ではあまり掘り下げないことにするが、メンバーが20thシングルの選抜とアンダーの2組に分かれて両会場を往還しつつ、要所では中継などの形で一体感をつくるような演出であった。そのため、セットリストの順序が会場によって異なる(こちらのサイトがきれいにまとまっているので参照されたい)。
 「全曲披露」というコンセプトを手放したことについては、寂しいが致し方ない、と思う。曲数や卒業メンバーの問題から、現実的に難しくなってしまった部分もあろう。ただ、「バースデーライブに行けば、思い入れのあるあの曲が聴ける」というのがなくなってしまったのことは、やはり寂しい。

 筆者にとってその「思い入れのある曲」のうちの1曲が、文章にさんざん書いてきた「アンダー」である。ある意味いわく付きの曲になってしまったと言ってもいいこの曲について、「全曲披露」の縛りがない今回のバースデーライブで演じられるとは、正直なところ微塵も思っていなかった。
 しかし結果として「アンダー」は、セットリスト内で重要な役割を担う曲として、北野日奈子をセンターに置いて演じられることとなった。ある意味サプライズだったとも言っていい。1日目の秩父宮、筆者は本当に驚いたし、涙が止まらなくもなった。

 本稿はこの点に焦点を当て、「アンダー」について、そして北野日奈子について、「あれから」の部分も含め、もう一度書いてみようとするものである。
 (「アンダーライブ全国ツアー九州シリーズによせて」の続編にあたる位置づけの文章でもある。)

 ◆

・「あれから」の北野日奈子

 前稿でも触れたように、体調不良と戦いながら九州シリーズと東京ドーム公演を駆け抜けた北野日奈子は、東京ドーム公演の直後にあたる2017年11月16日に体調不良による休養が正式にアナウンスされ、数ヶ月間の休養に入った。
 復帰の時期について明確なものはなかったが、2018年3月24日の「乃木坂46時間TV」内でサプライズ登場、20thシングルカップリングの2期生楽曲「スカウトマン」ではMVの一部に出演、4月22日の生駒里奈卒業コンサートでステージに復帰、と徐々にではあるが復活に向けて活動を拡大させていた。
 そして約2ヶ月ぶりに行われたグループ全体のライブが、今回のバースデーライブ。否が応でも、ステージに立つ北野日奈子には期待せずにはいられなかった。

 しかし一方で、心配でもあった。ファンとして、無理はしてほしくない気持ちも当然ある。各媒体で姿を見ることはまだほぼなかったし、20thシングル収録曲の歌唱メンバーにも入っておらず、生駒里奈卒業コンサートもフルに参加していたわけではなかった。
 あるいはちょうど1年前の神宮ライブで、同様に「復活」したかと思われたが、直後に卒業・芸能界引退を発表した中元日芽香のことも少し思い出していた。体調不良での数ヶ月の休養は、それだけやはり重たい出来事であった。
 そんな期待と不安がないまぜになった感情を抱きながら、1日目の開演を迎えた。

 ◆

秩父宮、1日目

 2018年7月6日、公演中盤から本降りの雨に見舞われた神宮・秩父宮。筆者は秩父宮のステージバック席にいた。この日の秩父宮は、選抜メンバーでスタートし、アンダーメンバーで終えるパターンのセットリストであった。
 齋藤飛鳥のあおりによる「裸足でSummer」からスタートし、夏曲で選抜メンバーが会場のボルテージを一気に最高潮まで引き上げ、アンダーメンバーによる「制服のマネキン」「命は美しい」ではそれぞれセンターを務めた鈴木絢音中田花奈に会場が沸き、「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」でセンターに登場した井上小百合、同じく「シークレットグラフィティー」で登場した樋口日奈によって、「シンクロニシティ・ライブ」という仕掛けの凄さを見せつけられた。
 その後、3期生ブロックを挟んで再度選抜メンバーが登場、ユニットコーナーを経て再度メンバーは交代し、さらに強くなる雨のなか、アンダーメンバーが「自惚れビーチ」や「13日の金曜日」などで負けじと会場をもり立てた。
 そして、本編最後に両会場同時に披露された「君の名は希望」のひとつ前、ライブ本編のクライマックスにもあたるところで披露されたのが、あの「アンダー」であった。

 予兆はあった。ライブ後半のMCで、伊藤純奈が「斎藤ちはる相楽伊織とはシンメトリーのポジションに入ることが多く、卒業が寂しい」という文脈で、「アンダー」という曲名を挙げたのである。しかし、まったく予想はしていなかった。神宮ではライブ序盤に披露されていたことになるが、筆者は知るよしもない。
 何百回と聴いた「アンダー」のイントロ。それと認識するのには秒とかからない。あの曲をやるのか、ここで。雨粒をぬぐって目を見開くと、センターポジションに立つ北野日奈子の姿がモニターに大写しになった。

 ◆

北野日奈子、復活への一歩

 「みんなから私のことが もし 見えなくても
  心配をしないで 私はみんなが見えてる」

 この日の北野日奈子は、約1年ぶりにライブに「正常に」参加していた。「正常に」というのが正しい表現とも思わないが、この1年間は確かに尋常ではなかったように思う。昨年の「真夏の全国ツアー」地方公演では笑顔が見られないか欠席かで、東京ドーム公演や生駒里奈卒業コンサートにも一部のみの参加、九州でのアンダーライブについても、参加できた公演でも一部MCやユニットコーナーには参加しておらず、何の憂いもなく参加していたといえるのは去年の神宮公演以来となってしまう(それすらも、どこか元気がない、という印象がないではなかった)。
 休業も含めたこのような経緯もあり、この日の客席は、北野がモニターに映し出されるたびに声援があがるような、そんな状況であった。さらにその声援には、励ましの声というよりは、復活を思わせる姿への喜びの声という色が強かったとも記憶する。

 そして、「アンダー」でのセンターポジションである。
 筆者を含め、ここまでの北野を見届けてきた観客席には、驚きやどよめきを含んだ声が波打った。「全曲披露」でもないのにこの曲が演じられることの意味は、多くのファンがわかっている。

 さらに曲のクライマックスでは、花火が上がる演出までなされた。復活の北野日奈子を中心とした「アンダー」で、神宮・秩父宮に花火が上がる。そんな演出が、セットリストがあり得たことに、「アンダー」という曲が好きで、だからこそ個人的にも葛藤を続けてきた筆者は感動した。
 それは北野がステージに立ってくれたことへの感動でもあり、「アンダー」という曲がが封印のような形にならずに再度ステージで輝きをみたことへの感動でもあった。そしてまたあるいは、両者は表裏一体のものであったかもしれなかった。

 ◆

・受け止めること

 「アンダー 今やっと 叶った夢の花びらが
  美しいのは ポジションじゃない」

 公演が終わった後で、2会場ぶんのセットリストを確かめた。秩父宮での「アンダー」の裏で、神宮では「裸足でSummer」が演じられていたらしい。この日に秩父宮のチケットを引いたのは運命だな、と思う一方で、「シンクロニシティ・ライブ」というあり方について、いろいろと考えることもあった。

 2会場同時にライブを開催するなんて、冷静に考えれば無茶苦茶な話である。それを可能にしたのは、もちろん乃木坂46が東京ドームを埋めるほどのグループに成長したことや、明治神宮野球場秩父宮ラグビー場という希有な地理的条件などももちろんあるが、「選抜メンバーと同じ規模のステージをアンダーメンバーに任せられる」グループであること、という要因もあったように思う。
 今回のライブでは一貫して、選抜とアンダーがシンメトリックな存在として取り扱われていた。オープニングの映像で選抜のセンター・白石麻衣とアンダーセンター・鈴木絢音が並び立ったことはその象徴的な出来事である。「選抜」と「アンダー」は、今回のライブに限って言えば、メンバーを二分したときの単なるグループ名に過ぎなかった(……というのは、少々言い過ぎだろうか)。

 そしてここには、「アンダー」の歌詞にリンクしてくる部分もある。メンバーもファンも、誰もが受け止め方に苦しんだ部分のひとつ、「美しいのはポジションじゃない」というフレーズ。筆者のなかでもずっと答えが出ていなかったが、今回のライブで胸に落ちたところがある。
 ライブというステージで輝く彼女らに焦点を当てたとき、「アンダー」というのは単なるグループ名に過ぎないのだ。

 「アンダーライブは熱い」といわれて久しい。でもそれは、アンダーライブがアンダーライブだからなのだろうか。アンダーがアンダーだからなのだろうか。参加メンバーが少ないからだろうか。箱が小さいからだろうか。会場が辺鄙なところにあるからだろうか。
 全部違うのだ。熱いライブをメンバーと観客が作っているから熱いのであって、それ以上でも以下でもないのだ。美しさはポジションによって与えられるのではなく、努力と声援のみによってそこに成り立つものなのだ。
 「シンクロニシティ・ライブ」という試みにおいて、それは第一義的なものではなかったかもしれない。しかし図らずもその仕掛けの助けを借りて、アンダーメンバーたちは自らの美しさの淵源を証明してみせたのである。

 ◆

・中心としての北野日奈子、そしてこれから

 その中心的な役割を担ったのが北野日奈子であることは言うまでもない。
 北野の「復活」がなければ「アンダー」がセットリストに入ることもなかったかもしれないし、あるいはあの九州でのアンダーライブや東京ドーム公演で、18thアンダーメンバー18人を全員揃えてパフォーマンスが行われていなければ、やはりこの日を迎えることもなかったかもしれない。
 北野日奈子をセンターに置き、「美しいのはポジションじゃない」の声を乗せて秩父宮の空に上がった花火。それが「やっと叶った夢」だったのかはわからないが、あの苦闘の日々が導いたものだったはずだ。

 また18thアンダーメンバーについていえば、中元日芽香川村真洋の2名がすでにグループを卒業しているし、20th選抜メンバーの寺田蘭世樋口日奈は今回の「アンダー」には参加していなかった。その一方で、新たにアンダーメンバーに合流した3期生がパフォーマンスに加わるなど、新たな形での披露となった。
 「アンダー」という曲は、しかしアンダーライブのアンセムとするにはあまりにも重すぎる曲ではあろう。しかし、今後も何らかの形で歌い継いでいってほしい。そう思うことができたライブであった。

 北野はライブ2日目のMCで、これからも活動を少しずつ広げていくこと、そして21stシングルにはアンダーメンバーとして復帰することをファンに伝えた。決して無理はしてほしくないと思う一方で、それはあまりにも嬉しい、待ち望んでいた報告であった。
 これからの彼女のポジションがどうなっていくのかはわからない。しかし、これからも「きいちゃん」の笑顔をたくさん見たいと思うし、あるいは休業期間を含めた、乃木坂46におけるこれまでの時間のできるだけすべてが、彼女にとって納得のいく、笑顔で振り返ることができるものであることを願ってやまない。

アンダーライブ全国ツアー九州シリーズによせて(6)

(6)Postscript〈2〉:中元日芽香、ウイニングランを終えて

 「影は待っている これから射す光を
  新しい 幕が上がるよ」

・最終章のはじめに

 ひどく長くなってしまったが、「アンダー」およびアンダーライブ全国ツアー九州シリーズについては、前稿まででおおかた書き終えたつもりでいる。
 「アンダー」の音源公開が、2017年7月21日。そこから九州シリーズが終わるまでのちょうど3ヶ月間は、いまにして思えば筆者にとって、熱病に浮かされたような日々だったように思う。

 まわりくどい文章をたくさん書いた。曲としての「アンダー」がもつ意味。あるいはそれと結びつく、アンダーメンバーの位置づけ。そういったことを言葉にして自分のなかで整理したかったのももちろんあるが、ここまでの熱量をもって文章を書いてきたのは、九州シリーズで自分が目にしたことは、もしかしたら自分が書かないとどこにも記されずに忘れられていくのではないか、と思ったからだった。
 たとえ読者が誰もいなくとも、インターネットの海に流しておけば、検索エンジンの力を借りて、誰かの記憶に改めて残されるかもしれない。そしてそれはいつか、歴史の一部になるかもしれない。
 そして何より筆者自身が、そこで見たものを少しでも覚えていたかった。
 あの日の中元日芽香北野日奈子を、忘れたくなかった。

 だからたくさん語り尽くされて、映像化もなされた東京ドーム公演や、卒業にあたって中元日芽香がたくさんのメディアで発信してきたメッセージについては、僕が何かを書く意味も理由も、よりいっそう乏しいようにも思える。だけどこの件について筆を置くために、自分のなかで区切りをつけるために、もう少しだけ書いてみようと思う。
 本稿は「アンダーライブ全国ツアー九州シリーズによせて」の最終章として、アイドル・中元日芽香乃木坂46卒業と芸能界引退に焦点を当て、その軌跡と所感を書き残すものである。
(2018年1月に書きかけた文章に、同年7月に加筆して完成させたものであり、文章全体としての書きぶりにみられる少々の齟齬はご寛恕いただきたい。)

 ◆

・「卒業メンバーを見送る」こと

 乃木坂46およびそのファンは、「卒業メンバーを見送る」ことに、まだまだ慣れていないように思う。
 2018年夏の今でこそ、直近では斎藤ちはる相楽伊織、遡って4月には生駒里奈、3月には川村真洋の卒業を経験してきたが、それでも「これからのほうが長い」と感じる部分もある。そのうえ中元日芽香が卒業を発表した2017年夏の時点では、永島聖羅深川麻衣、そして橋本奈々未と、次のステップに向けた自らのきっかけで、卒業コンサートという明確な区切りをもって卒業していったメンバーの記憶ばかりが色濃く、自らの決断とはいえ体調面での無念を含んだ中元日芽香の卒業をどう受け止めていいか筆者自身も戸惑っていたし、ファンの多くがそうだったようにも思う。
 さらに運命のいたずらとも言えるのは、直前の卒業メンバーである橋本が、中元と同じく「卒業・芸能界引退」という形でグループを去っていたということだ。中元の卒業に関しては驚きや悲しみとともに「卒業までどうなっていくんだろう」という戸惑いが強い一方で、「芸能界引退」ということが指す意味は、肌で感じてわかっていたと言っていい。

 ひめたんが卒業を発表し、真夏の全国ツアー地方公演の不参加も発表された。アンダーライブには出ると話していた。東京ドーム公演にも、明言されてはいないがどうやら出るらしい。ツアー不参加の間にもコンスタントに出演を続けていた「らじらー!」は、いつまでの出演になるのか。握手会の振り替えやスペシャルイベントも控えている。本当の「卒業・芸能界引退」のタイミングはいつになるのか。
 不安、というのも少し違うが、疑問符がいくつも続く期間があったことをまず書き残しておきたい。彼女のことを応援してきた誰もが、同じような感情を抱いていたはずだ。

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・「LAST NUMBER」

 もうひとつ特に触れておかなければならないと思うのが、東京ドーム公演を控えた10月29日の「らじらー!」で音源が公開された、RADIO FISH feat.中元日芽香乃木坂46)名義の「LAST NUMBER」のことだ。
 中元自身が並々ならぬこだわりを見せて取り組んでいた個人仕事である「らじらー!」。パーソナリティとして約2年半タッグを組んだオリエンタルラジオとのコンビネーションも、少なくとも筆者が聞き始めた2016年の夏ごろ以降は抜群だった、という印象をもっている。

 そんなオリエンタルラジオが、ある意味で中元へのはなむけとして贈った曲が「LAST NUMBER」である。
 「ラジオ」「日曜日の夜」「坂道」といったキーワードを散りばめ、中元の休業と復帰、そして卒業をストレートすぎるほどに思わせる歌詞の優しいバラード。RADIO FISHは他アーティストとコラボすることが多い一方で、乃木坂46のメンバーがこのような形でクレジットされることは稀であり、オリエンタルラジオの両名の尽力が感じられる出来事であった。

 「LAST NUMBER」という曲名も、なかなかに意味深長なところがあった。「19thシングルには参加しない」という区切りで卒業を決めた中元にとって、最後の参加曲(=ラストナンバー)は「アンダー」となる可能性があった。結果としてアンダーアルバムに収録されたソロ曲「自分のこと」が最後となったものの、アンダーアルバムの曲目が発表されたのは、中元がほぼすべての芸能活動を終えたあとと考えられる12月7日、リリースは翌年1月10日であり、このときはまだ予想すらされていなかった。
 ともかく中元日芽香は、オリエンタルラジオの存在があって「アンダー」で終わらなかった。そう思っておくことにしたいし、そう覚えておくことにしたい。 

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・「君は僕と会わない方がよかったのかな」

 中元日芽香初めてのセンター曲、「君は僕と会わない方がよかったのかな」(「君僕」)。中元のセンター曲は他にもあるが、東京ドーム公演のセットリストにも入り、アンダーアルバム映像特典のドキュメンタリー「最後のあいさつ / Her Last Bow」でも用いられるなど、「アイドル・ひめたん」を象徴する曲としていつしか定着していったように思える。東京ドーム公演でピンク一色に染まった客席の様子はいまでも記憶に新しく、またCMなどの各種映像媒体でも印象的に扱われることが多かった。

 「あのカフェの恋人たち 楽しそうで
  一人きりがやるせない
  だって 今も好きなんだ」

 曲としての「君僕」は、過ぎ去ってしまった恋を振り返る切ない歌詞と曲調が特徴的な恋愛ソングで、「センター・中元日芽香」のイメージにも合致し、またアンダー曲全体のイメージの形成にも寄与するものだったように思う。
 ただ筆者は、「アイドル・ひめたん」の最後を彩る曲として幾度も用いられるなかで、特にドキュメンタリー「最後のあいさつ / Her Last Bow」によって、どこか少し違った色彩を帯びる曲にもなっていったようにも感じている。
 「君」が中元に、「僕」がファンあるいは筆者自身、もしくは「アイドル」概念そのものに重なるように感じられてしまってならないのだ。

 中元は一貫して、「アイドルでいられることが本当に幸せ」と強調し続けてきたメンバーである。マルチな活動を拡大させているメンバーの多い乃木坂46にあって、「典型的なアイドルであること」にこだわってきた珍しいメンバーといえるかもしれない(「典型的なアイドル」とは何であるか、ということはひとまず置いておいて)。
 しかし一方で、その「アイドル道」ともいえるものを追究していく過程のなかで、傷ついた面もあり、休まなければならなかった面もあり、それが「卒業・芸能界引退」につながった面もあるだろうという推察は、おそらく間違ってはいない。
 アンダーライブでは北野日奈子から、「最後のあいさつ / Her Last Bow」では井上小百合斎藤ちはるから、卒業する中元について「幸せになってほしい」「自分のことだけを考えてほしい」という発言があった。これもやはり、偽らざる感情なのだろう。

 中元日芽香は「アイドル」に出会い、それをやり遂げた。彼女にとってそれは幸せだったか。まわり道ではなかったか。ファンの応援がアイドルを作るならば、自分たちのしてきたことは果たして正しかったか。「君」は「僕」と会わない方がよかったのではないか。
 答えのない問いが頭のなかをぐるぐるして終わりがない一方で、「最後のあいさつ / Her Last Bow」の最後で、中元はきっぱりと言い切って去っていく。

 「6年間、本当にお世話になりました。
  アイドルでいられて、幸せでしたよ?」

 中元日芽香はいつも全くのアイドルで、それは最後まで変わらなかった。
 このあとももう二言、三言、中元の台詞は続くが、それは本編を実際に見て確認して(あるいは再見して)もらいたい。
 彼女は最後まで、僕たちの心を引きつけるアイドルであることを選んだのだ。

 ◆

・ウイニングランとしての半年間

 2017年7月1日・2日の「真夏の全国ツアー2017」神宮公演は、中元にとって休業からの復帰後初めてのライブであった。公演は1期から3期までの「期別ライブ」として行われ、「制服のマネキン」で始まった1期生パートの冒頭、メンバーがひとりずつ登場してくる演出では、中元にひときわ大きな声援が送られた。さらに7月1日公演では、この日を欠席した同級生の生田絵梨花に代わって「ダンケシェーン」でセンターに立った。中元日芽香の本当の復活がはじまる。そう思ったファンも多かったのではないか。
 しかしこのあとの地方公演は全欠席となったのは前述の通りで、この神宮公演のときにはすでに、「卒業・芸能界引退」を決めていたということが、「最後のあいさつ / Her Last Bow」内で斎藤ちはるによって明かされている。

 そこから約半年間。休み休みながらも、中元日芽香はたくさんの「最後」を駆け抜け、「最後のあいさつ」とともに我々の前から去っていった。そこには埋めがたい喪失感があり、我々ファンにできることは、引き続き乃木坂46を前向きに応援していくことしかないのだと思う。
 しかしその最後の半年間は、やはり「ウイニングラン」であったのだと信じておくことにしたい。
 だって、「アイドルが芸能界でのゴール」と語っていた彼女があれほどまでに、最後の瞬間まで「アイドル」をやり遂げたのだから。

ろってぃーのこと

 2018年3月31日をもって、ろってぃーこと川村真洋乃木坂46を卒業した。
 川村真洋は筆者が生まれて初めて推したアイドルでもあって、何かひとつ、自分の中で区切りになる瞬間でもあるような思いでいる。
 ファンとしての自分の時間を区切ってしまうつもりはいまのところまだないけれど、時間の流れを明確に意識するようになったのは確かだ。


・人に言えないきっかけ

 アイドルにはほぼ興味をもってこなかった僕が坂道シリーズを追うようになったきっかけがろってぃーである。
 日曜の深夜にのんびりザッピングをしていたら、別れたばかりの元恋人に似た女の子が画面に映っていた。それがろってぃーであり、乃木坂工事中であり、僕と坂道シリーズの出会いだった。2015年の暮れのことであったはずである。
 そこから日曜深夜は楽しみにテレビの前に居るようになり(スタジオメンバーとして登場することは少なかったけど)、そしてその後枠のけやかけがきっかけで、「デビュー前からメジャーグループを応援できたら楽しいかも」という理由で欅坂46を追うようになり、少し遅れて乃木坂46も追うようになった、という順序である。
 誰かメンバーを推すようになるきっかけは人それぞれだと思う。しかしその中でも僕は割と愚かなきっかけをもつファンだったかもしれない。

 川村推しとして過ごした2年間は割と苦難が多かった。顔が割とタイプで、関西弁がかわいくて、力の抜けたキャラクターも好感で、それでいてパフォーマンスに秀でているところも、知れば知るほど好きだった。好きになればなるほど、時間の経過とともに薄れていくはずの元恋人のことを思い出してしまうという悪循環である(いまとなっては笑い話にまで昇華できているけれど)。
 そんな個人的な問題を抜きにしても、筆者が推しているあいだにろってぃーが脚光を浴びる機会はほぼなかった。選抜に入ったことは一度もなく、ソロでカラオケ番組に出たことと、「ろってぃーのギタヒロ!」の連載があったことくらいだっただろうか。筆者が唯一行った15th全握の頃はろってぃーコールの全盛期で、なにやら多少批判もあったように記憶している。
 16thアンダー曲「ブランコ」のフロントメンバーは好きだった。少しハードな曲調なところ、寺田蘭世をセンターに据え、フロントが樋口、中田、川村、能條。「意図が見えるフロント」などと絶賛していた覚えがある。その頃のろってぃーの外ハネの髪がまた好きだった。当時出演した「ラーメンWalkerTV2」の「カネキッチンヌードル」にも、便利な場所ではなかったはずなのに、すぐに行った。


・あのときのこと

 触れずに終わるわけにはいかない。ろってぃーが文春砲とやらを浴びたのはそんな時期だった。
 まず述べておくと、この件について僕は悪感情はほとんどない。AKB48が世に広めた「恋愛禁止」という言い方もあるように、一応は恋人などはいないことを前提とした商売ではあるのだと思う。このこと自体の是非を問うつもりもなくて、ただ久しぶりにろってぃーがファン界隈で話題をさらったのがこの件だったというのが少し悲しかった。
 仕方ないという言い方もおかしいが、選抜入り2回のメンバーが「アンダーライブを引っ張ってくれ」と言われて(「日経エンタテインメント! アイドルSpecial」2017でのインタビューより)、通常のアイドルとしてのモチベーションを保つのも難しいだろうよ、という印象をもっていたことを覚えている。それはまあ失礼な勘ぐりではあるけれども、同じインタビューで「休みの日はカラオケに行って歌の練習をしている」と語った通りの足どりがその文春で報じられたことは好感ですらあって、ろってぃーの応援を続ける自分を疑ったことはなかった。もっと言えば、あの写真かわいく撮れてたよな、くらいに思っていた。マスクもせずに写真を撮られてしまうゆるーい感じがイメージ通りだった。
 (文春の記事については当時少し目を通しただけで、あまりまじめに読んだわけでもなければ、別にこの文章を書くにあたって確認したりといったこともないので、事実誤認があるかもしれない。)

 こうしたゴシップが話題になったときの対処のパターンはいくつかあって、正式に認めて謝って「正史」の一部にしてしまうパターンや、その逆に正式に否定するパターン、だんまりのまま終わってしまうパターン、または少し曖昧な形でブログなどで触れて終わりにするパターンなど、さまざまである。そこまで気にしてはいなかったものの、あえて当時気になっていたことを挙げるとすれば、どういうパターンで事態が進んでいくんだろう、ということくらいだった。
 結果としてはほぼだんまりのままで、755のコメントに本人が少し反応してしまったことがあったくらいだったと記憶している。そのままの状態で迎えた事件直後のライブの場は橋本奈々未卒業コンサートを含むバースデーライブで、ろってぃーがステージに登場すると客席には何かいつもと違う雰囲気が波打って少し居心地が悪い思いも正直少しあった。しかしほかでもないろってぃー自身が、完全にいつも通りの表情でステージに立っていたことはこれ以上ない救いであって、そのほかには何も要らなかった。


・それでもどこまでも推しだった

 よくない話を長々と続けてしまったので、軌道修正したい。
 乃木坂46が雑誌の専属モデルを続々と増やし、「きれいなお姉さん集団」のようなイメージを定着させていくなかで、しかしそこから少し外れた場所にいるメンバーが独自で立場を獲得していることが、グループの強みでもあると筆者は感じてきた。歌に、ダンスに、ギターに、と、ひたすらパフォーマンスで評価と実績を積み重ねてきた川村真洋は、その典型例のひとりであっただろうと思う。
 先にも述べたように、彼女は確かに、言ってしまえば人気メンバーというわけでもなかった。ファン目線を抜きにすれば、「国民的アイドルグループの無名メンバー」としてアイドルとしての芸能生活を終え、次のステージに進むことになる。こう書いてしまえば身もふたもない。しかしグループの強みを確実に形成してきた彼女自身に、「元乃木坂46」の肩書きが少しでも、あるいはできるだけ、プラスに働いてほしいとただただ願っている。乃木坂にいた7年半が、回り道だったと思ってほしくないし、現実としてそのように作用してほしくもない。

 1stシングルでは選抜メンバーで、「乃木坂の詩」ではフロント扱いのポジション(生駒里奈の隣)に入ってきた時代も長かった。改めてそう考えてみると、アンダー時代が長かったことは少し寂しくも思える。「乃木坂らしさ」のようなものをグループとして体当たりで模索していくなかで、ポジションとしては後景に退いてしまったという評価になるのかもしれない。
 しかしそこにはアンダーライブがあった。「アンダーライブを引っ張ってくれ」と言われた、というエピソードを否定的に紹介してしまったが、全体のライブだけではなくたくさんのステージを踏めたことは、彼女にとって幸せなことだったのだろうとも思う。全体のライブではあり得ない規模の小さな会場で、彼女のパフォーマンスをしっかりと見られた(レスももらえた!)ことは、筆者自身も幸せだった。

 ステージに立っていた彼女のこと思い出そうとすると、シリアスな曲も多かったはずだろうに、なぜか目尻の下がったあの笑顔で楽しそうに歌い踊る姿ばかりが浮かんでくる。歌って踊ることが本当に好きなんだなあ、と思いながら見ていた記憶もある。
 筆者が思い入れの強い楽曲である「アンダー」について、「私はそんなに暗い気持ちで歌いたくなかったので、たまに少し微笑むようにしました」(「日経エンタテインメント! アイドルSpecial」2018春でのインタビューより)と語っていたことも印象深かった。「逆境から生まれたコンテンツ」の側面をもつステージで、パフォーマンスを追求する延長線上にあって笑顔になれるのは、何よりの才能であったのかもしれない、とも思う(これもまた、ある意味で「乃木坂らしさ」から外れてしまうのかもしれないけど)。
 これからも彼女がたくさんのステージを踏み、たくさんの歌をうたって、それがたくさんの人に届くことを願うほかない。


・ろってぃーと乃木坂の“これから“

 個別握手会での卒業セレモニーはあったものの、まさに卒業当日であった3月31日の全国握手会(大阪)が、乃木坂メンバーとしての最後の場となった。卒業コンサートは開催されなかったものの、最後までパフォーマンスの場があったというのも、ろってぃーらしい形だったとも感じている。
 そうかと思えば755が翌日になって更新され、クローズ日がアナウンスされているブログも、次の情報発信の場の紹介を含めて更新されるのだという。卒業とは何なのか、と思わなくもなかったが、橋本奈々未中元日芽香の「卒業・芸能界引退」の印象に引っ張られてしまっているだけかもしれない。
 卒業コンサートの決まっている生駒里奈をはじめ、これからもメンバーの卒業は続いていくだろう。芸能界を引退するメンバーもいたっていいけれど、やっぱりこれからも表に出て活動してくれたほうが寂しくないし、その際には母校のようなものとして、乃木坂46が存在してほしいとも思う。
 その変化はもしかしたら、46時間TVにもしれっと登場した伊藤万理華、卒業センターを断って2列目に立った生駒里奈、そして川村真洋の「95年組」が、もたらしていくのかもしれない。

 ■

 短く済ませるつもりが、例によって筆が乗りすぎてしまった。
 最後に、先にも引いた「日経エンタテインメント! アイドルSpecial」2017での川村真洋のキャッチコピーを紹介して、本稿を終えることにしたい。

 「アンダーライブをけん引してソロシンガーを目指す」

 次のステージは明確である。いつまでもろってぃーはろってぃーらしく生きていってほしいし、それを素直に応援できるファンでありたいと思っている。

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 ろってぃー。
 お疲れ様でした、ありがとう。
 あなたのおかげで、知らなかった世界をたくさん知ることができました。

 応援の形は変わるかもしれないけれど、僕はこれからもずっとあなたのファンです。