坂道雑文帳

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「アンダー」について、ふたたび(シンクロニシティ・ライブによせて)

・バースデーライブの新たな形

 2018年7月6日~8日、乃木坂46「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」が「真夏の全国ツアー2018」の皮切りとして開催された。今回は、それまでのバースデーライブの「全曲披露」というコンセプトを変更し、恒例となった明治神宮野球場に加え、秩父宮ラグビー場も会場として用いた、2会場同時開催の「シンクロニシティ・ライブ」として行われ、筆者も3日間、それぞれ秩父宮・神宮・神宮会場で参戦した。

 「シンクロニシティ・ライブ」というコンセプトについて本稿ではあまり掘り下げないことにするが、メンバーが20thシングルの選抜とアンダーの2組に分かれて両会場を往還しつつ、要所では中継などの形で一体感をつくるような演出であった。そのため、セットリストの順序が会場によって異なる(こちらのサイトがきれいにまとまっているので参照されたい)。
 「全曲披露」というコンセプトを手放したことについては、寂しいが致し方ない、と思う。曲数や卒業メンバーの問題から、現実的に難しくなってしまった部分もあろう。ただ、「バースデーライブに行けば、思い入れのあるあの曲が聴ける」というのがなくなってしまったのことは、やはり寂しい。

 筆者にとってその「思い入れのある曲」のうちの1曲が、文章にさんざん書いてきた「アンダー」である。ある意味いわく付きの曲になってしまったと言ってもいいこの曲について、「全曲披露」の縛りがない今回のバースデーライブで演じられるとは、正直なところ微塵も思っていなかった。
 しかし結果として「アンダー」は、セットリスト内で重要な役割を担う曲として、北野日奈子をセンターに置いて演じられることとなった。ある意味サプライズだったとも言っていい。1日目の秩父宮、筆者は本当に驚いたし、涙が止まらなくもなった。

 本稿はこの点に焦点を当て、「アンダー」について、そして北野日奈子について、「あれから」の部分も含め、もう一度書いてみようとするものである。
 (「アンダーライブ全国ツアー九州シリーズによせて」の続編にあたる位置づけの文章でもある。)

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・「あれから」の北野日奈子

 前稿でも触れたように、体調不良と戦いながら九州シリーズと東京ドーム公演を駆け抜けた北野日奈子は、東京ドーム公演の直後にあたる2017年11月16日に体調不良による休養が正式にアナウンスされ、数ヶ月間の休養に入った。
 復帰の時期について明確なものはなかったが、2018年3月24日の「乃木坂46時間TV」内でサプライズ登場、20thシングルカップリングの2期生楽曲「スカウトマン」ではMVの一部に出演、4月22日の生駒里奈卒業コンサートでステージに復帰、と徐々にではあるが復活に向けて活動を拡大させていた。
 そして約2ヶ月ぶりに行われたグループ全体のライブが、今回のバースデーライブ。否が応でも、ステージに立つ北野日奈子には期待せずにはいられなかった。

 しかし一方で、心配でもあった。ファンとして、無理はしてほしくない気持ちも当然ある。各媒体で姿を見ることはまだほぼなかったし、20thシングル収録曲の歌唱メンバーにも入っておらず、生駒里奈卒業コンサートもフルに参加していたわけではなかった。
 あるいはちょうど1年前の神宮ライブで、同様に「復活」したかと思われたが、直後に卒業・芸能界引退を発表した中元日芽香のことも少し思い出していた。体調不良での数ヶ月の休養は、それだけやはり重たい出来事であった。
 そんな期待と不安がないまぜになった感情を抱きながら、1日目の開演を迎えた。

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秩父宮、1日目

 2018年7月6日、公演中盤から本降りの雨に見舞われた神宮・秩父宮。筆者は秩父宮のステージバック席にいた。この日の秩父宮は、選抜メンバーでスタートし、アンダーメンバーで終えるパターンのセットリストであった。
 齋藤飛鳥のあおりによる「裸足でSummer」からスタートし、夏曲で選抜メンバーが会場のボルテージを一気に最高潮まで引き上げ、アンダーメンバーによる「制服のマネキン」「命は美しい」ではそれぞれセンターを務めた鈴木絢音中田花奈に会場が沸き、「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」でセンターに登場した井上小百合、同じく「シークレットグラフィティー」で登場した樋口日奈によって、「シンクロニシティ・ライブ」という仕掛けの凄さを見せつけられた。
 その後、3期生ブロックを挟んで再度選抜メンバーが登場、ユニットコーナーを経て再度メンバーは交代し、さらに強くなる雨のなか、アンダーメンバーが「自惚れビーチ」や「13日の金曜日」などで負けじと会場をもり立てた。
 そして、本編最後に両会場同時に披露された「君の名は希望」のひとつ前、ライブ本編のクライマックスにもあたるところで披露されたのが、あの「アンダー」であった。

 予兆はあった。ライブ後半のMCで、伊藤純奈が「斎藤ちはる相楽伊織とはシンメトリーのポジションに入ることが多く、卒業が寂しい」という文脈で、「アンダー」という曲名を挙げたのである。しかし、まったく予想はしていなかった。神宮ではライブ序盤に披露されていたことになるが、筆者は知るよしもない。
 何百回と聴いた「アンダー」のイントロ。それと認識するのには秒とかからない。あの曲をやるのか、ここで。雨粒をぬぐって目を見開くと、センターポジションに立つ北野日奈子の姿がモニターに大写しになった。

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北野日奈子、復活への一歩

 「みんなから私のことが もし 見えなくても
  心配をしないで 私はみんなが見えてる」

 この日の北野日奈子は、約1年ぶりにライブに「正常に」参加していた。「正常に」というのが正しい表現とも思わないが、この1年間は確かに尋常ではなかったように思う。昨年の「真夏の全国ツアー」地方公演では笑顔が見られないか欠席かで、東京ドーム公演や生駒里奈卒業コンサートにも一部のみの参加、九州でのアンダーライブについても、参加できた公演でも一部MCやユニットコーナーには参加しておらず、何の憂いもなく参加していたといえるのは去年の神宮公演以来となってしまう(それすらも、どこか元気がない、という印象がないではなかった)。
 休業も含めたこのような経緯もあり、この日の客席は、北野がモニターに映し出されるたびに声援があがるような、そんな状況であった。さらにその声援には、励ましの声というよりは、復活を思わせる姿への喜びの声という色が強かったとも記憶する。

 そして、「アンダー」でのセンターポジションである。
 筆者を含め、ここまでの北野を見届けてきた観客席には、驚きやどよめきを含んだ声が波打った。「全曲披露」でもないのにこの曲が演じられることの意味は、多くのファンがわかっている。

 さらに曲のクライマックスでは、花火が上がる演出までなされた。復活の北野日奈子を中心とした「アンダー」で、神宮・秩父宮に花火が上がる。そんな演出が、セットリストがあり得たことに、「アンダー」という曲が好きで、だからこそ個人的にも葛藤を続けてきた筆者は感動した。
 それは北野がステージに立ってくれたことへの感動でもあり、「アンダー」という曲が封印のような形にならずに再度ステージで輝きをみたことへの感動でもあった。そしてまたあるいは、両者は表裏一体のものであったかもしれなかった。

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・受け止めること

 「アンダー 今やっと 叶った夢の花びらが
  美しいのは ポジションじゃない」

 公演が終わった後で、2会場ぶんのセットリストを確かめた。秩父宮での「アンダー」の裏で、神宮では「裸足でSummer」が演じられていたらしい。この日に秩父宮のチケットを引いたのは運命だな、と思う一方で、「シンクロニシティ・ライブ」というあり方について、いろいろと考えることもあった。

 2会場同時にライブを開催するなんて、冷静に考えれば無茶苦茶な話である。それを可能にしたのは、もちろん乃木坂46が東京ドームを埋めるほどのグループに成長したことや、明治神宮野球場秩父宮ラグビー場という希有な地理的条件などももちろんあるが、「選抜メンバーと同じ規模のステージをアンダーメンバーに任せられる」グループであること、という要因もあったように思う。
 今回のライブでは一貫して、選抜とアンダーがシンメトリックな存在として取り扱われていた。オープニングの映像で選抜のセンター・白石麻衣とアンダーセンター・鈴木絢音が並び立ったことはその象徴的な出来事である。「選抜」と「アンダー」は、今回のライブに限って言えば、メンバーを二分したときの単なるグループ名に過ぎなかった(……というのは、少々言い過ぎだろうか)。

 そしてここには、「アンダー」の歌詞にリンクしてくる部分もある。メンバーもファンも、誰もが受け止め方に苦しんだ部分のひとつ、「美しいのはポジションじゃない」というフレーズ。筆者のなかでもずっと答えが出ていなかったが、今回のライブで胸に落ちたところがある。
 ライブというステージで輝く彼女らに焦点を当てたとき、「アンダー」というのは単なるグループ名に過ぎないのだ。

 「アンダーライブは熱い」といわれて久しい。でもそれは、アンダーライブがアンダーライブだからなのだろうか。アンダーがアンダーだからなのだろうか。参加メンバーが少ないからだろうか。箱が小さいからだろうか。会場が辺鄙なところにあるからだろうか。
 全部違うのだ。熱いライブをメンバーと観客が作っているから熱いのであって、それ以上でも以下でもないのだ。美しさはポジションによって与えられるのではなく、努力と声援のみによってそこに成り立つものなのだ。
 「シンクロニシティ・ライブ」という試みにおいて、それは第一義的なものではなかったかもしれない。しかし図らずもその仕掛けの助けを借りて、アンダーメンバーたちは自らの美しさの淵源を証明してみせたのである。

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・中心としての北野日奈子、そしてこれから

 その中心的な役割を担ったのが北野日奈子であることは言うまでもない。
 北野の「復活」がなければ「アンダー」がセットリストに入ることもなかったかもしれないし、あるいはあの九州でのアンダーライブや東京ドーム公演で、18thアンダーメンバー18人を全員揃えてパフォーマンスが行われていなければ、やはりこの日を迎えることもなかったかもしれない。
 北野日奈子をセンターに置き、「美しいのはポジションじゃない」の声を乗せて秩父宮の空に上がった花火。それが「やっと叶った夢」だったのかはわからないが、あの苦闘の日々が導いたものだったはずだ。

 また18thアンダーメンバーについていえば、中元日芽香川村真洋の2名がすでにグループを卒業しているし、20th選抜メンバーの寺田蘭世樋口日奈は今回の「アンダー」には参加していなかった。その一方で、新たにアンダーメンバーに合流した3期生がパフォーマンスに加わるなど、新たな形での披露となった。
 「アンダー」という曲は、しかしアンダーライブのアンセムとするにはあまりにも重すぎる曲ではあろう。しかし、今後も何らかの形で歌い継いでいってほしい。そう思うことができたライブであった。

 北野はライブ2日目のMCで、これからも活動を少しずつ広げていくこと、そして21stシングルにはアンダーメンバーとして復帰することをファンに伝えた。決して無理はしてほしくないと思う一方で、それはあまりにも嬉しい、待ち望んでいた報告であった。
 これからの彼女のポジションがどうなっていくのかはわからない。しかし、これからも「きいちゃん」の笑顔をたくさん見たいと思うし、あるいは休業期間を含めた、乃木坂46におけるこれまでの時間のできるだけすべてが、彼女にとって納得のいく、笑顔で振り返ることができるものであることを願ってやまない。