坂道雑文帳

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そうして彼女は、欅坂46を終わらせた(菅井友香の“あれから”と、櫻坂46の誕生によせて)

 2020年10月13日。この日の「THE LAST LIVE」2日目をもって、欅坂46は櫻坂46として生まれ変わった。7月16日の無観客配信ワンマンライブ「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」から約3か月。欅坂46はその最後の時間を凜々しく駆け抜け、その5年間の歴史に幕を閉じた。

 本稿は、前稿「菅井友香が『真ん中』に立った日(5年間の“欅坂46”によせて)」に続くものとして、欅坂46および菅井友香のこの約3か月の足跡をたどり、前稿とあわせてその歴史を、最後の日についてまで書き終えるものとしたい。すべてを書き切ることができたともできるともいえないだろうし、これからも何かあれば記事を出すかもしれないが、ひとまずは筆者としても、大きなひとつの区切りとする文章とできればと思っている。

 

※留意点や表記のルールなどについては、前稿と同様である(本稿は全体で約42000字である)。内容としても前稿を多分にふまえているため、あわせてお読みいただけると幸いである(あわせて読むというには少々長すぎるようにも思うが)。

※記事公開日(2020年11月3日)以降の情報については原則として追加しないが、事実関係については脚注で適宜補足し、当該部分は赤字で表記する。また公開から当面の間は、修正や一部書き直しをする可能性が高い。

 

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・改名を「受け入れる」こと

 「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」での改名発表から少し時間が経ち、8月に入った頃になると、改名について詳しく語られたインタビュー記事が世に出始める。その嚆矢となったのは、前稿にも少しとりあげた『日経エンタテインメント!』2020年9月号(8月5日発売)であったが*1、改名発表から約1か月が経過したこの月の中旬くらいから、その数は一気に増えた。発表を受けて組まれた取材が世に出るまでと考えると、このくらいのスピード感になるということだろう。

 やはりというか、この文脈でインタビューを受けるのは菅井を筆頭に、どうしても1期生が多くなった。菅井の「前向きなお別れ」という言葉選びに象徴されるように、改名発表のときにはすでにある程度ポジティブな思いが表に出されるまでになっていたものの、改名という選択肢を受け入れるまでの、「欅坂46」をつくりあげてきた1期生の葛藤は並大抵のものではなかったということが、数々のインタビューから読み取れた。このタイミングであえて「欅坂46の未来」と銘打たれ、自身が表紙を飾った『B.L.T.』2020年10月号(8月24日発売)で、菅井は改名という選択肢が浮上してからの思いをこのように語っている。

「(前略)……今後のことをお話する中で、そういう可能性がなくもないというニュアンスではあったんですけど……。それは絶対に嫌だって思いました。やっぱり欅坂46という名前のグループに思い入れがありますし、何より悔しかったんです。てち(平手友梨奈)がいないと欅を続けていくことは難しい、という現実を突きつけられた気がしたので……。だから、何とかして欅坂をずっと続けていきたいし、何か方法がないのかなってメンバーとも話し合ったりしました。そんな感じで、しばらくはけじめがつけられなかったんですけど、スタッフさんたちと話し合いを重ねていく中で、欅坂というグループの見られ方が変わってきているのを感じて、改名という選択を前向きに捉えるようになっていったというのが、だいたいの流れです。……(後略)」
(『B.L.T.』2020年10月号 p.10)

 同誌では守屋茜もインタビューを受けており、この菅井の発言とおおむね重なる内容を語っている。

(前略)……改名の可能性があると知った時の心境も、改めてお聞かせ願えるでしょうか。

「自分たちは5年間、欅坂46として活動してきて、絶対的エースと呼ばれる存在の平手(友梨奈)がグループから脱けても、これからも欅として歩んでいきたいと考えていたんですけど、『君達じゃできない』って思われているのかなって、最初は正直そう思いました。欅への思い入れが深い分、改名して再出発することの意図を理解するのにみんな時間がかかりましたし、……(中略)……でも、スタッフの方々が考えに考え抜いた上で、その選択を提示してくださったので、新しい名前のグループになって成功できるかどうかは、あとは私たち次第だなっていう風に考えを切り替えていきました。……(後略)」

(『B.L.T.』2020年10月号 p.24-25)

 1期生の改名に対する受容のしかたは、おおむねこのように理解していいように思う。その決断に際して、1期生どうしは連絡をとりあうことが増えたといい、コロナ禍ということもあってという部分もあるだろうが、ビデオ通話や全員でのグループ通話をして思いを語り合うこともあったという。バラバラとはいわないまでも、特に2017年の全国ツアーの時期以降であろうか、グループとして厳しい状況に見舞われ続けるなかで、大人数がひとつにまとまることの難しさに長く直面してきた歴史をもつ1期生だが、この件に関してはそれぞれの思いがかなりの部分で重なっていると感じられることが多い。しかし2期生は、また違う思いを抱えていた面もあるのではないかとも思われる部分もある。ほぼ同時期に発売された『blt graph.』2020年8月号(8月19日発売)で、森田ひかるがこのように語っている*2

 ブログやインタビューなどで「今はもう前を向いています」と伝えているメンバーもいます。そのあたりの切り替えというか、納得する材料は何だったのかなと……。

「私の本当の気持ちとしては、まだ完全に前を向けているというわけじゃなくて。ライブ直後のブログでも、その気持ちに嘘がつけなくて、『前を向いています』とは書けませんでした。二期生のメンバーとも『やっぱり欅がいいな』っていう話になったりするんですけど、改名するという選択肢も間違いじゃないと思っているので、これからはどうしていけばまた、というか、もっと良いグループになるのかなって考えたりしています。……(後略)」

(『blt graph.』2020年8月号 p.10)

 同誌では小池美波もインタビューを受け、そうした2期生の立場についておもんぱかる趣旨の発言をしている。

 だとすると、欅坂46のことをファンとして見ていた時期があった二期生や新二期生メンバーの感じ方というのも、また違っているかもしれませんよね。
「そうですね……でも、違っていたとしても当たり前かなと思っていて。……(中略)……改名するっていう話を聞いた時、自分がどう思うかというよりもまず二期生と新二期生のことが心配になりました。ある意味、私たち以上に“欅坂”の世界観に対する思い入れが強い部分があったりするのかなって感じたりもしていたので……」。
(『blt graph.』2020年8月号 p.29)

 オリジナルメンバーとして、それこそゼロから欅坂46をつくってきた1期生(彼女らのオーディションの段階ではグループ名は「鳥居坂46」とされていたのであり、「欅坂46」の歴史は、正真正銘1期生の歴史と重なってきたのである)には、改名を受け入れるにあたってもちろん無限の葛藤があったことであろうが、受け入れると胸に決めたあとは強さとともにしなやかさのようなものがあるのではないかと思う。自分たちが進んでいく方向、選んでいく形がグループそのものとなることを体得している、と言い換えることもできようか。自分たちのありようがグループをつくるということは同じくメンバーである以上2期生も同じなはずだが、やはり外から見る側であった時期をもつ2期生は、それを自然に体得するのはなかなか難しいだろう。小池の発言も、そうした立場の違いをくみとっているといえるのではないだろうか。

 (あえてこういう言い方をするが、)改名を一歩先に受容した1期生は、それを自らのこととしてとらえると同時に、小池のように2期生の立場からもとらえようとしていた。改名はほかならぬ2期生のためにもなる、というような思いから、強くしなやかに改名へと進んでいった、という側面もおそらくあった。7月21日の「けやみみ」#37で菅井が「(2期生に)今後活動していくうえでその欅坂っていうものについてるいろんなものを全部背負わせてしまう、それが本当にいいことなのかっていうのもちょっと考えて、やっぱり新しくなるっていう決断はいいんじゃないかなって」と語ったというのは前稿でも引いたところだが、この時期に小林由依も、このように語る場面があった。

 改名発表後の公式ブログでは、「感情だけで乗り越えられるほど簡単に壊せる壁ではありませんでした」とつづっていた。
「やっぱり、今まで自分たちが作ってきた『欅坂』というブランドイメージが、壁になってしまった部分ではあると思います。いろんな業界の方や、世間の方から求められている『欅坂』をこれからも続けられるのか、メンバーの重荷になってしまうかもしれない。全員が全員強いわけじゃないので、感情だけでは進めない部分がありました」
(日刊スポーツ「坂道の火曜日」2020年8月18日) 

 「欅坂46」というくびきを負うのをやめること。それは1期生にしかできない決断だったのかもしれない。

 

 ただし、誤解のないように書き加えておくと、「THE LAST LIVE」に向けてグループがフィナーレへ進んでいく過程のなかで、2期生も含めてグループの思いは確実にひとつにまとまっていったという印象もある。ここまで引いてきたインタビューは、「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」での改名発表直後という、ホットではある一方、ある意味非常に特殊でもある時期に収録されたものであることもあわせて覚えておきたいと思う。

 森田ひかるも、「THE LAST LIVE」の前週というタイミングで発表されたインタビューでは、以下のように語ってもいる。

 当初は改名を受け入れられないメンバーもいたが、今はラストライブに向けて前向きだという。「もちろん欅坂の歴史が幕を閉じてしまうのは、とっても悲しくて寂しいことだと思います。でも、ラストにふさわしいような、華やかなライブにしたい、とみんなが思っていると思います」と力を込めた。

「欅坂が好きで入ってきたので、(改名再出発を)聞いた時は寂しかったですけど、今は本当に前向きです。身に付けたいこと、やりたいこと、いっぱいあります。1つ1つ丁寧にスキルを磨いていきたいです」

(日刊スポーツ「坂道の火曜日」2020年10月6日)

 

・続くグループの新展開

 またこの時期、8月中旬からは、グループとしての動きが堰を切ったように出てくることにもなった。8月11日には、コロナ禍で公開が延期されたまましばらく動きのなかったドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」の新公開日が9月4日に決定したと発表される。続く8月12日には「欅共和国2019」のDVD/Blu-rayがリリース。翌週8月17日には、改名発表の際に予告されていた「THE LAST LIVE」*3が10月12-13日に国立代々木競技場第一体育館で開催されることが発表される。このときはまだ、配信ではないリアルライブを、国の定めたガイドラインに従い座席数を絞った形で開催するものとしての発表であった。

 8月21日には、ラストシングルとされた「誰がその鐘を鳴らすのか?」が配信リリース。7月18日の「音楽の日」(このときが音楽番組での初披露だった)以来少し間が空いていた音楽番組への出演であったが、このリリース日にあわせて「MUSIC STATION」に出演し、ここからしばらくコンスタントに出演が続くことになる*4。さらに8月27日には、ベストアルバムの発売が告知され、9月3日にはタイトル・収録内容・ジャケット写真が公開。「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」というタイトル、未発表曲の収録、そしてなにより「ANNIVERSARY LIVE」および「夏の全国アリーナツアー」の模様の「Director's Cut Collection」としての映像化の発表はリリースへの期待感を高めるとともに、欅坂46の「総決算」を感じさせるものでもあった。さらにこの日にはイオンカード(欅坂46)会員限定の無観客配信ライブ「KEYAKIZAKA46 Live Online, AEON CARD with YOU ! 」の開催(9月27日)も発表されている。

 溜め込んでいたエネルギーを一気に放出するかのようにリリースや発表が続き、それを受け取る側としても、少々めまぐるしいほどの日々が続いた。社会情勢としても、新型コロナウイルスへの対策は続けられる一方、自粛ムードから少しずつ解放されていく雰囲気の時期であっただろうか。改名が行われて「欅坂46」が終わるという事実もおおむね受容が進み、いつぶりかの明るい空気があったように思う。終わりに向かいながらも、確実に前に進んでいく。グループにとっては、そのような季節となった夏であった。

 

欅坂46の「嘘と真実」

 そうしたなか、9月4日にはとうとうドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」が封切られる。もともとはほぼ同時期(1週違い)に公開が予定されていた日向坂46のドキュメンタリー映画「3年目のデビュー」は8月7日に公開されており、少し時間がかかったという印象がある。というのも、本来の公開日であった4月3日からの間に発生したグループの改名というきわめて重大な事態を受け、インタビューの追加収録と再編集が行われていたのであった。結果として上映時間も123分から136分に伸び、大ボリュームでの公開となった。

 「嘘と真実」といういかにもセンセーショナルなタイトルにより、筆者にとっては少々見るのが怖いという印象もあったことを書き残しておく。しかし公開された作品は、2018年の全国ツアー千秋楽で演じられた「ガラスを割れ!」で平手友梨奈がフォーメーションを飛び出して最後にはステージから転落した事件の模様など映像としてショッキングなシーンもあったし、初めて明かされる事実もいくつもあったが(そのなかにはこれまでに語られていたものとは異なるものもあった)、「究極の音楽映画」とも銘打たれ、メンバーへのインタビューとともにさまざまなライブ映像がひとつの軸として展開された構成は好評を博し、興行的にもヒット作といわれるものとなった。

 かなり著名な事実ではあったがこれまで大々的には語られてこなかった、2017年の全国ツアー愛知・日本ガイシホール公演1日目に平手が欠席したことを受けてメンバーが逡巡する様子*5や、映像としては出てこなかったがファンのあいだではずっと語り草であったといえる、平手が離脱してしまった2018年の全国ツアー千秋楽での「二人セゾン」で小池美波が自らの判断でソロダンスを踊ったシーンなどが描かれたほか*6、2017年の「紅白歌合戦」のパフォーマンス直後に平手が「いったん欅坂を離れようと思う」とメンバーを前に話し、「みんなは今、欅坂をやってて楽しいですか?」と問いかけたことがあったという事実が明かされたりもするなど、ファンとしてグループを追ってきた身としては記録と記憶が補完される貴重なシーンが散りばめられていたという印象がある。

 また、映画内では2019年12月8日に発売日を見直すことが発表されて以降は動きがなく、2020年1月23日の平手の脱退発表で宙に浮いた形となっていた9thシングル(表題曲が「10月のプールに飛び込んだ」であったことも、この映画で明らかとなった)の制作過程について、その内実が明らかにされた。振り付けはTAKAHIRO、監督は新宮良平という従前の体制で、2019年7月25日にはMV撮影の前日リハーサルが行われていたが、台風の接近により撮影は中止になってしまったのだという*7。7月29日には「欅坂46×ローソンスピードくじ」のCMで「10月のプールに飛び込んだ」の使用が始まっており、音源としても完成をみていたはずで、この日の撮影が行われていれば9thシングルのリリースに至っていた可能性は高かったのではないかと推測される。

 「夏の全国アリーナツアー2019」および東京ドーム公演を経たあとの10月23日には2回目のMV撮影が行われたが、ここに平手は現れず、不在のままで撮影が行われた(欅坂46運営委員会委員長・今野義雄からメンバーに、「本人がどうしても表現ができない」と説明されたシーンも挿入された)。しかし結局、「10月のプールに飛び込んだ」のMVはいかなる形でも完成をみることなく、どうやらお蔵入りになってしまったようだというのは周知の通りである。そしてこの頃を境に9thシングルの話題はほぼトーンダウンし、語られることはなくなってしまっていたことも確かだ。

 この映画のためのインタビューは、追加撮影のものを除くと12月に撮影されていたといい、これはまさに9thシングル発売日見直し発表の前後というタイミングである。菅井は「みんなが納得する形で辛抱強くがんばりたい」と悲壮ともいえる決意を語り、「そこまでメンバーがいてくれるかな」と涙をこぼした*8。織田奈那と鈴本美愉は長らくグループとしての活動がみられていない状態であったが、平手が脱退するということは明かされていない時期であったともみられ*9、とにかくグループを立て直し、先へ進んでいかなければいけないという気持ちでいっぱいのハードな時期に収録されたインタビューであったことが思われた。

 「平手さんしっかりしてくれよ」と思うことはないのか、という難しい質問をぶつけられた菅井は、「てちがいてくれたことでグループがここまで大きくなれたかと思う一方で、普通のグループでいられないところがある」と語り、ほかのメンバーのことを考えると心配で、バランスが難しいと感じる、とこぼした。ギリギリの状態であったグループのありさまを反映した、ギリギリの表現だと思う。絶対的なセンターであり表現者であった一方、メンバーとしては不安定な状態がずっと続いていた平手。それが偶然であったのか、何らかの確信をもってなされたものだったのかはわからないが、彼女の脱退前夜といえる時期に撮影されることになったインタビューは、そのあとの時期、特に映画の公開が発表されてからのものとはいくぶん違う、平手をセンターに置いて歩み続けていたグループの「生の声」がすくい取られた、きわめて貴重なものとなった*10

 

 少々長くなってきたが、この項の最後に「僕たちの嘘と真実」というタイトルについてもう少し触れておきたい。先に述べた通りだが、「嘘と真実」とまでいわれてしまうと、いかにもセンセーショナルなタイトルという印象があった。ただし映画を二度観た感想として、筆者はそこに描かれていたものが「嘘」と「真実」というように対置される性質のものであるとは思わなかった。全体として映像での描き方はそこまでセンセーショナルではなく、むしろ抑制的、良心的ですらあったという印象もある。

 映画の「前夜祭イベント上映会」(9月3日、参考)でもこのタイトルは話題にあげられ、監督を務めた高橋栄樹も、「やたらと刺激的なタイトルですが、秘密を暴露してやろうなどという意味で使っているつもりはありません」と語ったところだという。菅井によれば、「私たちの不器用ながら支え合ってきた日々とか、作品にかける情熱、一生懸命歩んできた日々や笑顔に嘘偽りはないんじゃないかなと思っています」ということだ。一方で、グループを離れたあと欅坂46について語ることはほぼなかった平手だが、『ロッキング・オン・ジャパン』によるインタビューで水を向けられると映画について少し語り、特にタイトルについては「これまで届けてきたものが嘘で、ここに映っていることが真実というように思われてしまうと悲しい(『ロッキング・オン・ジャパン』2020年10月号 別冊p.39)と述べた。

 そのようなタイトルがグループの歴史が語られるドキュメンタリー映画にお仕着せのように与えられたと考えると少々悪趣味にも思えるが、「そこには嘘があるだろう」「隠された真実があるはずだ」という、おそらく内実以上のパブリックイメージがグループに渦巻いていた日々のことを思い出せば、そんなところも欅坂46らしいと評価することもできるかもしれない。そして「嘘と真実」という二項対立の先に、ほんとうにそこにある(われわれが受け取ることができる)といえるのは、彼女たちが届けてきた楽曲とパフォーマンスだけであったようにも思う。

 平手は「ここに描かれていることだけが全ての真実だとは思わないで欲しい(同前)とも語る。前稿を書く過程でかなりさまざまな経緯や事実関係を見直してから映画に臨んだこともあってか、筆者のレベルであってさえ「(それでも)語られなかったことがたくさんあるな」という印象があった。こと当事者であれば、そのような感想となるのも当然だろう。ひとつの完結した作品の枠組みの中で、すべてのことを伝えることは絶対にできない。そのことはまず受け入れなければならない。そのことを決して忘れないようにしながらいろいろなものを見ていきたいし、以降についても書き続けていきたいと思う。

 

菅井友香の語りの「うまさ」

 映画の公開直後の時期には、インターネット媒体を中心に、メンバーへのインタビュー記事が次々と世に出された。メンバーが出演することがあった際などにも毎回思うが、映画のプロモーションというものはすごい(東宝配給作品ということもあるのだろうが)。さまざまなリリース、イベントを経験してきて、ニュースの見出しをさらうことも多かった欅坂46だが、ここまで多岐にわたるインタビュー記事が一気に公開されたという時期は、(筆者の印象にすぎないが)ほとんど記憶にない。しかも一部の媒体による記事は、本来の公開予定であった4月3日を控えた時期にすでに公開されていたのに、である*11

  網羅できているかはわからないが時系列順にあげていくと、「モデルプレス」では小池・小林・菅井・原田・守屋・渡邉理佐*12、「クランクイン!」では菅井・守屋が*13、「まんたんWEB」では菅井が*14、「リアルサウンド」では渡邉理佐*15、「リアルサウンド映画部」では小池・原田・渡邉理佐*16、「TOKYO HEADLINE」では小池・小林・菅井・原田・守屋・渡邉理佐*17、「ウレぴあ総研」では同じく小池・小林・菅井・原田・守屋・渡邉理佐*18、「音楽ナタリー」では小池・小林・菅井・守屋が*19、「クランクイン!」(2回目)では2期生から武元唯衣・田村保乃・松田里奈が*20、「ORICON MUSIC」では渡邉理佐*21、「MOVIE WALKER PRESS」では菅井が*22、「モデルプレス」(2回目)では武元・田村・松田が*23、それぞれインタビューを受けている。雑誌でも、9月1日発売の『FLASH』2020年9月15日号に菅井・渡邉理佐のインタビューが、9月7日発売の『週刊プレイボーイ』2020年9月21日号に小林・菅井・守屋のインタビューが、それぞれ映画についての記事という形で掲載されている。

 それぞれの媒体は普段グループとあまりかかわりがないことも多く、記事の体裁としても映画のプロモーションが前に出される向きがあったこともあり、インタビューの質としては玉石混交といった感もあった。しかし、そうしたなかでも多くの記事に触れるなかで改めて感じたのは、菅井友香がインタビューに答える際に見せる独特の「うまさ」である。それは先に引いた映画内でのインタビューの言葉にも現れていたところだが、ここで少し横道にそれて、彼女のインタビューでの受け答えについて書いてみようと思う。

 あけすけに言ってしまうと、菅井には「通りいっぺんのことを言う」というパブリックイメージが多少ついているのではないかと思う。かつてはライブのMCで「また私が綺麗事ばかり言ってると思われるかもしれない(2017年8月30日、全国ツアー2017「真っ白なものは汚したくなる」千秋楽幕張メッセ公演、『Top Yell NEO 2017〜2018』〈2017年12月28日発売〉p.5)と本人も口にしていたが、「ありがたいことに大きな舞台に立たせていただきました」「今回もすてきな楽曲、MV、振り付けを作っていただきました」「いつも応援してくださるファンのみなさん、いつも私たちのことを考えて支えてくださるスタッフさんのおかげです」のようなことをいつも言っている、というようなことだ。それは事実といえば事実だし、言わなければならないことだし、キャプテンとして彼女が担ってきた役割ではあるのだが、(特に単独での)インタビューから伺える彼女のありようはそのパブリックイメージとは少々異なる。言葉にするとすれば、だいたいいつも「予想以上に踏み込んだことを言う」のである。

 例えば、先に挙げた「クランクイン!」の記事には、このような一節が出てくる。

 欅坂46として最後の新曲「誰がその鐘を鳴らすのか?」を初披露する直前には、ステージへ向かう階段で隣にいた守屋が「予定していなかったのに手をつないでくれて」と明かした菅井。「スピーチが終わって一番不安なとき」に、仲間のさりげないはからいを受けて「言葉を交わさずとも、同じ気持ちでいたんだ」と確かめられたという。

(クランクイン!「欅坂46・菅井友香、改名後も『サイレントマジョリティー』は歌い続けたい <菅井友香&守屋茜インタビュー>」〈2020年9月3日公開〉)

 これがそれにあたるかは筆者自身あまり記憶が定かでなく自信はないのだが(別のところでも触れられたエピソードであるような気もする)、このような形でさらりと「初出し」またはそれに近いエピソードを紹介し、インタビューの聞き手にも読者にも「良いインタビュー」をつくるのが菅井は上手なのだ。

 同じく先に挙げた「MOVIE WALKER PRESS」のインタビューでは、ラストシングルという形になった「誰がその鐘を鳴らすのか?」について、このようなことを明かしている。

「ちょうど、『10月のプールに飛び込んだ』『砂塵』などの制作期間中にいただいた曲です。もちろんその頃はこの曲がラストシングルになるとは全く予想していなかったんですが、初めて聴いた時から大好きな曲でした。その後ラストシングル、センター不在の楽曲になったことで自分のなかで解釈が変わった部分もあって、曲をよりまっすぐに受け取れるようになりました」。

(MOVIE WALKER PRESS「菅井友香が明かす、欅坂46の『嘘と真実』…平手友梨奈への想いと“25歳の決意”」〈2020年9月18日公開〉)

 映画の公開から少し日が経って公開された記事であったが、「誰がその鐘を鳴らすのか?」が2019年6月頃にはすでにグループにあてがわれていたという事実は、このときが「初出し」であった*24

 また、前稿でも引いたものだが、3月に公開された映画についての記事では、このような発言があった。

Q:ついに今年1月、平手さんはグループを脱退されましたね。
実は最初に私が、てちから「グループを辞めたい」という想いを聞いたのは、「不協和音」を歌った2017年の紅白(歌合戦)の後ぐらいです。これまで、ずっとセンターを務めてくれたこともあり、そのときの私は「欅から、てちがいなくなるなんて嫌だ」「やっぱり一緒に欅をやりたい」という、どこか彼女にすがるような気持ちでした。でも、今考えるとそんな甘えた気持ちが、彼女をさらに苦しめたのかもしれない……とも思えるんです。

シネマトゥデイ『僕たちの嘘と真実 DOCUMENTARY of 欅坂46』菅井友香 単独インタビュー」〈2020年3月26日公開〉)

 「実は最初に私が、てちから『グループを辞めたい』という想いを聞いたのは、『不協和音』を歌った2017年の紅白(歌合戦)の後ぐらいです。」というのは、この記事で完全に「初出し」の情報であった。インタビュワーも試写を観た上でなされているインタビューであるし、公開された映画本編にも、2017年の「紅白歌合戦」当日に「いったんグループを離れようと思う」と語る平手の声は収められているものの、菅井のいうような情報は盛り込まれていなかった。映画公開前に読んだときは驚いたし、いま改めて読んでも少し考えこんでしまうようなエピソードだ。

 エピソードを語るばかりではなく、自分の思いについて踏み込んだ表現をすることも多かったように思う。映画からは離れるが、先にも引いた『B.L.T.』2020年10月号のインタビューでは、このようなことを話している。

 まだ新しい名前のグループがどんな方向性になるのか分かりませんが、欅坂46が5年間で築き上げたものにプラスアルファを上乗せするような世界観だといいなという願望が正直あります。

「私も、あくまで個人的な考えではありますけど、完全にリセットするのではなく、今までを踏まえた上でパワーアップするっていう方向性だといいなと思っていて。ただ、人間の負の感情や葛藤といったテーマに対しては『黒い羊』で一区切りつけられたのかなとも感じていたりするので、そういったものを越えたところにある気持ちだったり、その先に広がっている新しい景色をこれからはもっと表現していけたらうれしいなというのが、正直な思いとしてあります」。

(『B.L.T.』2020年10月号 p.10)

  おそらく改名後のグループ名もメンバーには伝えられていなかった段階のものとしては、かなり踏み込んだ発言のように思える。「黒い羊」の制作が厳しいものであったということも、ほかならぬ菅井のインタビューによって説明されてもいるが*25、これにはっきりと「一区切り」と発言し、その先を表現していきたいと希望を表明したことには驚きがあった。

 菅井が踏み込んだ発言をしたり強い言葉を使ったりするのは、近年に限ったことではない。2017年の全国ツアーを終えた直後のインタビューでは、センターの平手を欠いた公演もあり、グループが揺れたこのツアーについて、このような受け答えをしている。

 少し話を変えて「菅井さんはこの夏のツアーは成功だったと思いますか?」という質問を投げかけてみた。

「うーん……今までのライブでは少しは達成感を感じられたんですけど、今回のツアーは本当に達成感がなくて。たぶん個人的には成功したと思えないからなのかな……」

(『BUBKA』2017年11月号 p.9)

 同じく平手を欠いた状態で臨まれ、「不協和音」でセンターに立った「2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE」を終えてのインタビューでは、このように語った(少なくとも坂道シリーズの雰囲気においては、いわゆる「アンチ」について触れられるのはいくぶん珍しいことなのではないかと思う)。

「『不協和音』を踊っている時も、今の欅坂を批判する人やよく思わない人に対して、自分たちの力を見せてやるんだとか、ちょっと言葉は悪いんですけど『今に見てろ!』くらいの気持ちで臨んでいましたし、毎回『このライブで死んでもいいや』って気持ちでステージに立っていました。……(後略)」

(『別冊カドカワ 総力特集 欅坂46 20180703』p.201)

 思いついたものをいくつか挙げてみたが、ともかく菅井の単独インタビューを読むと、当然ほかのメンバーのものでも新しい情報を得られたり、舞台裏や思いの丈について知ることができたりするのだが、それを超える「おっ」となる発言が往々にしてあるのだ。それは特に2017年1月のキャプテン就任、および同4月の「レコメン!」月曜日ダブルパーソナリティ就任以降、自分の言葉でグループについて語る場面が多くなり、メンバーの誰よりも場数を踏んできたということもあるだろうし、あるいは彼女自身の誠実さやサービス精神のあらわれともいえるかもしれない。前稿も本稿も、彼女のそうしたところに支えられて成立している部分もある。ひとりのファンとして純粋にありがたいことだと思うし、グループにとっても得難い存在であろうな、とも思う。

 

・歴史が動いた9月後半

 初頭に映画の公開があった9月が折り返すと、いよいよグループの歴史が最後の瞬間に向かっていく雰囲気になっていった*26。9月18日には、「THE LAST LIVE」が無観客配信ライブでの開催となることが発表される。欅坂46の最後の瞬間に直接立ち会うことができなくなったことは悔やまれたが、客入れをしていたとしても収容人数の半分程度がせいぜいというガイドラインがあり、プロスポーツなどではそのガイドライン下での客入れが始まっていたものの、大規模なライブではそのような例はみられていないという社会情勢でもあったため、致し方なしという受け止められ方であったように思う。結果としてチケットの争奪戦が避けられたことや、2日間の公演が別メニューで展開されるとアナウンスされたことは良いニュースとして受け止められた。

 そして9月20日には、新グループ名を「櫻坂46」とすることが発表された。21時頃に渋谷駅前スクランブル交差点の街頭ビジョンで予告なく映像が放映されるという形で発表され*27、予告や「匂わせ」などもなく、ゲリラ的な色彩さえあった発表であった。Twitterでは「櫻坂46」に加えて「発表の仕方」がトレンド入りするなど、驚きとともに少々の戸惑いをもって受け取られていたと記憶する。「なぜこのような形で発表するのか、ラストライブで発表すればいいじゃないか」という声が大きかったことによるトレンド入りであったと筆者はとらえているが、「THE LAST LIVE」を境に櫻坂46としての活動が一気にスタートしていくことになるわけで、そのための準備期間はメディアにもファンにも必要であろうし、「THE LAST LIVE」に向けてという意味でも、芸能ニュースのトップを飾れる機会をみすみす一度減らすこともないと考えると当然の選択ともいえるわけで、少々ピュアすぎる反応であったという印象である。あるいは渋谷という宿縁の地を舞台装置に使い、記者会見のような形をとらず、派手ではあるがコンパクトな発表となったことは、ある意味で「欅坂46らしさ」が強く発揮されていたものといえるかもしれない。

 メンバーに「櫻坂46」という新グループ名が伝えられたのは、9月27日の「欅って、書けない?」#251で放送された当日の模様(「9月某日」とされている)と一致した服装で菅井が「レコメン!」に出演していたことから、9月7日であったのではないかと推定される。そこから歌唱メンバーの発表があり、楽曲の制作と振り入れがあり、いわゆる「新2期生」を除けばほぼ「全員全曲参加」に近い状態であった「THE LAST LIVE」2日分のリハーサルを行いながら約40日で新曲の披露までもっていったのであるから、かなりの急ピッチで展開は進んでいったのであるといえよう。10月19日の「はんにゃ金田と櫻坂46と日向坂46のゆうがたパラダイス」では守屋がMVの存在にも言及しており、この撮影もこの間に行われていた可能性もある。見せるべきものをきちんと見せるために、新グループ名の発表にあまりかかずらっているわけにもいかなかったというのも、ひとつの現実であったのではなかろうか。

 また、この期間にはベストアルバム所収の未発表曲が次々に解禁され、リリースに向けて期待が高まっていく時間にもなった。9月14日には「レコメン!」で「10月のプールに飛び込んだ」が、9月20日には「こちら有楽町星空放送局」で「砂塵」が、9月22日には「レコメン!」で「カレイドスコープ」が、9月27日には「こちら有楽町星空放送局」で「コンセントレーション」が、9月28日には「レコメン!」で「Deadline」がそれぞれ放送され、約2週間で全5曲が一気に解禁されたことになる。9月27日に開催された無観客配信ライブ「KEYAKIZAKA46 Live Online, AEON CARD with YOU ! 」では、「10月のプールに飛び込んだ」が森田ひかるをセンターに置いた形で初披露された。このほかこのライブでは、同じく森田ひかるをセンターに置いて「黒い羊」が披露されたり*28、ユニット曲が3曲(「302号室」「僕たちの戦争」「青空が違う」)披露されたりするなど、イオンカード(欅坂46)会員限定という枠組みのもとに、近年のコンセプトから変化がつけられた貴重なライブとなった。

 

・叶わなかった「28人での再出発」

 そしてこの9月の最後、9月30日には、石森虹花が公式サイトでの発表をもってグループを卒業した。7月16日の「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」以後、直後の7月18日の「音楽の日」や7月20日の「はんにゃ金田と欅坂46と日向坂46のゆうがたパラダイス」に出演し、「欅って、書けない?」でもクローズアップされる場面があったが、8月21日の「MUSIC STATION」以降は音楽番組などで欠席状態が続いており、ベストアルバム所収の「砂塵」の歌唱メンバーにも含まれていなかった*29。この卒業を受けて菅井はブログを更新し、「私自身、今回の出来事は簡単には受け入れられませんでした。」と珍しく悔しさをにじませた*30。「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」の際などには「28人での再出発」ということが強調された文脈もあったが、それは叶わないということになった。

 しかし、思えば欅坂46の歩みは、いまさら振り返るまでもないことかもしれないが、いつも傷だらけで駆け抜けてきた歴史であった。大人数のグループの宿命といえるのかもしれないが、2017年以降、単独ライブが何の憂いもない状態で迎えられたことはほぼない。「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」*31(2017年4月6日)はデビュー当時の1期生21人が全員揃った最後のライブであったが、今泉佑唯はすでに活動休止に入ることを決めた状態であった。「欅共和国2017」(2017年7月22-23日)ではその今泉と米谷奈々未が欠席しており、この夏の全国ツアーでは今泉の復帰が最後の会場となった幕張メッセでの公演まで待たれたほか、平手友梨奈が途中退場ないしは欠席する公演があり、グループの苦闘の歴史のひとつとして語られているところだ。

 「2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE」(2018年4月6-8日)は平手友梨奈志田愛佳を欠いた状態で行われ、「欅共和国2018」(2018年7月20-22日)のときには志田および原田葵が活動休止に入っており、今泉も欠席している。全国ツアーの直前には今泉が卒業を発表し、またしても彼女を欠いて行われるライブとなった(佐藤詩織が足のけがで欠席した公演もあった)。千秋楽公演で平手がステージから転落した事件も周知の通りである。「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」(大阪公演2019年4月4-6日、東京公演5月9-11日)は長濱ねるの卒業が公表されている状態での公演であり、長濱の卒業を経て新体制で臨まれた「欅共和国2019」(2019年7月5-7日)は初日での原田のグループへの復帰もあり当時所属の全メンバーが参加した公演となったが、直後の全国ツアーではほとんどの場面で平手を欠く形となり、平手がフルに復帰し、グループの記念碑的公演となった東京ドーム公演(2019年9月18-19日)では織田奈那を欠いた状態であった。一筋縄ではいかないグループの歴史のなか、コロナ禍という状況もあったがじゅうぶんに時間をかけて体制を整え、当時所属の全員で臨まれた「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」(2020年7月16日)はむしろイレギュラーだったといってもいいし、それだって改名発表が行われた公演であったのだ。その後の「KEYAKIZAKA46 Live Online, AEON CARD with YOU ! 」(2020年9月27日)では石森が欠席している。

 石森の卒業に続き、10月7日のベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」のリリースを経た10月9日には、佐藤詩織が「THE LAST LIVE」をもって、欅坂46の歴史の終わりとともにグループを卒業することが発表された。「THE LAST LIVE」まで3日という状況での発表には衝撃もあったが、本来2020年1月23日の発表をもって活動を一時休止して留学する予定であったところに新型コロナウイルスの世界的な感染拡大があってこの計画が頓挫し、5月2日付けで「一時的に」グループ活動に復帰しているという形であったという経緯もあり、比較的静かに受容されたという印象もある。こうした経緯を経て、「THE LAST LIVE」は27人で臨まれ、櫻坂46のスタートは26人で迎えられる、ということになった。

 

・「THE LAST LIVE」、ほんとうの「集大成」

 こうしたなかで迎えられた、10月12-13日の2日間の「THE LAST LIVE」(国立代々木競技場第一体育館)。前述の通り2日間別のセットリストで、両日をあわせて完結するような形がとられたこのライブは、欅坂46の歴史の終わりを飾るに相応しい、「集大成」といえる公演となった*32

 「集大成」は2019年9月18-19日の東京ドーム公演についても用いられた表現であるが(『月刊エンタメ』2019年11月号での菅井の発言など)、名実ともにこの公演が「集大成」であったように感じられる。デビュー曲「サイレントマジョリティー」でライブは始められ、グループにあてがわれたすべての「全員曲」*33がセットリストに含められた*34。ユニット曲はベストアルバムで初収録された3曲(「カレイドスコープ」「コンセントレーション」*35「Deadline」)および「渋谷川*36のみと最小限にとどめられ*37、ソロ曲の披露はなかった*38。これは、ライブが「全員曲」を中心に展開され、ユニット曲・ソロ曲の披露は抑制的であった(ユニット曲・ソロ曲が「全員曲」としてパフォーマンスされることもあった*39)という近年の欅坂46の傾向と一致する*40。MCは菅井による2日目最後のあいさつを除いてほぼ排され、これは「欅坂46らしさ」のようなものをさらに突きつめたような形であったといえるかもしれない(メンバーひとりひとりの声を伝える機会は、ファンクラブ限定の「アフター・ライブ・スペシャル配信」で設けられた)。ただし2日目に全員で披露された「太陽は見上げる人を選ばない」では、この楽曲が当初ひらがなけやきとともに歌われたものであることが菅井によって言及され、「欅坂46」としての歴史をともに歩んだひらがなけやきへの配慮がなされた*41

 「全員曲」*42の編成は、見た目上は1期生によるオリジナルのフォーメーションに2期生を取り混ぜる従来の形であったが、実際には2期生(いわゆる「新2期生」を除く9人)は全員全曲に参加している。1期生のみの時代、特に卒業メンバーの出ていなかった2016-2017年には、1期生全員の人数を指した「21人」という数字が大きいものとして受け止められてきた歴史があるが(6thシングル「ガラスを割れ!」所収楽曲までの「全員曲」は、歌唱メンバーが21人である)、紆余曲折を経たこの「THE LAST LIVE」では2期生9人までを加えたフォーメーションの人数が21人となったということでもあり、なかなかに因果なものだという印象がある。デビュー当時以降の楽曲が広く披露されたうえにこうした事情もあり、否が応でも欅坂46の歴史を思い起こさせるパフォーマンスであったが、Overtureに乗せられた映像でもデビュー当時の個別アーティスト写真から現在のものに遷移していく形でメンバーが紹介されたり、曲間には所属の1期生全員および「2期生」の歴史を個別に振り返るVTRが挿入されるなど、グループとして時系列で振り返るような形ではなかったが、結成からの時間の流れを思わせる演出も随所にみられた。また、楽曲のセンターメンバーはほぼ従前の例によっていた(直近での披露と同じであった)が、平手のセンター以外で初めて披露された「制服と太陽」のセンターは森田ひかるが、初披露であった「砂塵」のセンターは菅井友香が務めたほか、森田が過去に2回センターを務めていた「黒い羊」は小林由依のセンターでパフォーマンスされた。

 ライブ会場にはメインステージが設けられたほか、アリーナ部分も全体に映像を投影するなどしてステージとして用いられ、数々の大道具・小道具やギミックによって楽曲ごとに世界観にそった演出が加えられた。1日目の「もう森へ帰ろうか?」では上村莉菜が、2日目の「風に吹かれても」では小林が(ともにセンターメンバーである)、ワイヤーによるフライングを行う場面もあり、グループとしては新規性のある演出であった。アリーナを街並みに見立てたパフォーマンスが行われた1日目の「君をもう探さない」と2日目の「手を繋いで帰ろうか」では、街並みのなかの登場人物として、いわゆる「新2期生」も演出に参加した。このほか「新2期生」は、1日目の「黒い羊」、2日目の「太陽は見上げる人を選ばない」および「サイレントマジョリティー」でパフォーマンスに参加している。「新2期生」の出演は抑制的であったという印象もあるが、本来のポジションというものがないなかで、両日とも最後に披露された楽曲には参加しているということでもあり、全メンバーを正しいバランスで際立たせた形であったということができるだろう。

 

・そうして彼女は、欅坂46を終わらせた

 欅坂46としての歴史に終わりを告げるライブ。1曲ずつ披露が重ねられるごとに、確実に最後の瞬間が近づいていく。完成度の高いパフォーマンスが続いたことが、むしろ寂しさを際立たせていた。筆者としては、改名することも、これが区切りになることも十二分に受け入れて臨んでいたつもりであったが、限りなく終わりが近づいていたといえる2日目の12曲目「アンビバレント」のときに、何がきっかけということでもないのだが、「これだけのパフォーマンスができるグループが改名する必要ある?」と少しだけ思ってしまったことを書き残しておく。「アンビバレント」は7人ものメンバーがセンターに立って*43パフォーマンスが進化させられ続けてきた経緯をもつ。じつに全体の披露回数の4割近くが、平手のセンター以外(センターなしも含む)で演じられた楽曲なのだ。そうした可能性もポテンシャルも、欅坂46にはあったのかもしれない。そう思う部分がなかったといえば嘘になる。

 しかしそうした筆者の逡巡に構うことなくライブは進んでいく。この「アンビバレント」を含めて4曲連続で表題曲が演じられたあと、VTRパートの最後として菅井友香の5年間の歩みが振り返られた。BGMは「世界には愛しかない」。メインステージには菅井がひとりで歩み出て、少し遅れて残りのメンバーが登場した。1362日間を欅坂46のキャプテンとして過ごした彼女の尽力をねぎらうように、全員が彼女の肩や腕に寄り添うようにしてからそれぞれの立ち位置につく。ライブを終わりへと導く、横一列の並び。菅井友香が「真ん中」に立つ。「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」のときと違っていたのは、彼女が涙を流していたことだった。

 グループへの別れの挨拶として、ファンに、スタッフに、メンバーに、改めて感謝が述べられる。グループとしての歴史を駆け抜けてきた、メンバーの心の軌跡が語られる。「どんなに醜くても、苦しくても、自分たちらしくいていいんだ」。グループと楽曲にそう教えられたという彼女たちが最後の楽曲として演じたのは、1日目の1曲目としても演じられた、デビュー曲「サイレントマジョリティー」だった。前日とは異なり、オリジナルの1stシングルの制服兼歌唱衣装に身を包み、27人全員が参加*44。約4年半の時間を重ねた93回目*45の披露で発される「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」のメッセージは、あの頃と同じ強さと前向きさが込められている一方、まったく違う空気をまとっているようでもあった。

 パフォーマンスを終えたメンバーは、センターの小林由依を先頭にメインステージを下りていく。アリーナの中心で再度横一線に並び、菅井がもう一度口を開いた。最後のMC。「欅坂46が大好きです。みなさんとのこの5年間は、ずっとずっと宝物です!」と声を張り、精一杯の感謝を伝えた。菅井が最後のかけ声をかける。「以上!」「欅坂46でした!」。彼女のそのかけ声で、グループの歴史が幕を閉じた。

 「ありがとうございました!」と全員が頭を下げる。そのままの状態で、会場に和文のエンドロールが投影された(前日はメンバーが退場したあと、欧文のエンドロールが投影される形であった)。公演のスタッフに加え、これまでかかわってきた無数の関係者や元メンバーの名前も、彼女たちの上を流れていった*46。すべての関係者とファンに感謝を伝える形で、ライブは締められた。

 会場が暗転する。「欅坂46」の歴史が、終わった。 

 

・新グループの表現の形

 しかしライブはここでは終わらない。新グループ名発表時に街頭ビジョンで流された映像を挟み、白い衣装に身を包んだメンバーがメインステージに戻る。「櫻坂46」としての第一歩、1stシングル表題曲「Nobody's fault」が披露された*47。センターは森田ひかる。全員での「サイレントマジョリティー」から一転、パフォーマンスメンバーはかなり絞られており、新たな形でグループが運営されていくことを予感させた。

 楽曲とパフォーマンスについては、ざっくりというと、「安心した」ようなファンも多かったのではなかろうかと思う。ハードめの曲調に強い言葉が乗せられたメッセージ性のあるパフォーマンスは、言い方として適切かはわからないが、ある意味で「欅坂46を継承した路線」であるともいえた。メンバーでも、守屋茜がこの楽曲について、「いままで貫いてきたスタンスっていうものが変わらないのも安心というか、これからもこうやって訴えかけるようなことを……(中略)……続けていけるんだなあって思って嬉しかった(2020年10月19日「はんにゃ金田と櫻坂46と日向坂46のゆうがたパラダイス」)と語っている。菅井が期待した「完全にリセットするのではなく、今までを踏まえた上でパワーアップする(『B.L.T.』2020年10月号 p.10)という方向性に合致するものであったといえるだろう。

 しかしそのなかにあって、楽曲冒頭の森田ひかるのソロパートでは新風が吹いたといえるのではないだろうか。欅坂46の楽曲を(表題曲や「全員曲」を中心に)聴きこんできた身としては、非常に新鮮な感覚があった。逆にいえば、欅坂46の楽曲は多くの部分で平手の声によって特徴づけられてきたのだと改めて感じる部分でもあった(楽曲によってその程度は異なり、あえて薄められているような形のものも散見されるが)。平手脱退後の体制で制作されリリースに至った(2期生も参加した)楽曲である「誰がその鐘を鳴らすのか?」「10月のプールに飛び込んだ」「砂塵」は冒頭のパートからユニゾンで始められたものであった。その経緯をふまえると、森田の声を前面に出したことは櫻坂46が繰り出した最初の一撃であったともいえた。

 歌詞の世界観や方向性も、欅坂46のそれとは異なる傾向にあったということができる。欅坂46の楽曲、特に表題曲は、主人公である「僕」の物語として(そして、「僕」はセンターの平手友梨奈であるものとして)理解され、パフォーマンスされてきた。ただし楽曲それぞれは決して均質なものではなく、外形としても「僕」の物語としてとらえやすい「世界には愛しかない」や「二人セゾン」(「10月のプールに飛び込んだ」もここに属し、かつ最もその色が強い楽曲であるといえる)、どちらかというと内心の部分が歌われている「アンビバレント」や「黒い羊」(「エキセントリック」などもここに属する)、外に放たれる強いメッセージが強調された「不協和音」や「ガラスを割れ!」、そして何より「サイレントマジョリティー」、というふうに、おおむねいくつかの系統に分けることができる*48。例えば外形のみを見ていくと、そもそも「ガラスを割れ!」の歌詞で用いられている一人称は「俺」だし、「アンビバレント」では「私」なのである。

 もう少し過去回顧に付き合っていただきたいのだが、こうした多様性をもつ楽曲を「僕」の物語としてとらえてきたことそれ自体が、欅坂46のパフォーマンスの軸になってきたのだと筆者は考える。「僕」の物語を成立させたのはほかならぬメンバーによる理解であり解釈であるが、いまさら語るまでもなく、そこには振付師・TAKAHIROによるエッセンスが多分に含まれている。物語のスタートはもちろん「サイレントマジョリティー」ということになるが、この楽曲にだって、メッセージの強さこそあれ、「僕ら」という形でしか一人称は登場しない。グループとしてのスタートであることなども考えれば、もう少し横並び的な取り扱いもあり得た(MVには歌唱メンバー20人全員のアップショットのカットもあり、少々そうした色もあったにはあったが)し、制作段階での仮タイトルも「僕らの革命」であった*49

 そうしたところに絶対的な主人公=「僕」として現出したのがセンターである平手友梨奈であった。TAKAHIROによる振り付けでセンターがかなり明確に主人公と位置づけられ、MVもその意図を受けて撮影された。この楽曲のMVを監督した映像ディレクター・池田一真が、当時このようなことを語っている。

「センターだからというのもあるんですが、結果として今回は平手をめっちゃえこひいきしてる(笑)。TAKAHIROさんの振付もそういうふうになっていると感じたんですが、主人公を決めてそこを軸にしっかり見せた方が、全体としての完成度があがる。バランスを取って満遍なくメンバーを映していくより、彼女たちの魅力をストレートに伝えられるんじゃないか と思いました。それを実現するためには絶対的な主人公が必要で、表情、爆発力、平手はそれにふさわしい人だと感じました」

(『BRODY』2016年6月号 p.63)

 楽曲やフォーメーションはある程度所与のものであったのだろうが、それらを絶対的な主人公がいるものとして解釈し、「僕」の物語の第一章としたのは平手のたたずまいと、制作チームの判断であったといえるのではないだろうか。この「僕」の物語という枠組みは以後継承され続け、それが欅坂46のパフォーマンスを何よりも強くアイデンティファイしていったのである。(あまり古参ぶるのも好きではないが)この「僕」という枠組みを「持って生まれた」または「すでにそこにあった」というようなとらえ方をしてきたファンも、特にある時期以降は多かったように思う。しかし筆者はこの時期の欅坂46を見てきたひとりとしてそのとらえ方には与しないつもりでいたし、これからもそうするつもりだ。

 そして、グループに「僕」という示唆を与えたTAKAHIROが欅坂46にかかわるようになったことも、ひとつの偶然が作用したものとして語られている。

——ここからは欅坂46の振付について伺います。欅坂に関わることになったのは、乃木坂46の舞台『すべての犬は天国へ行く』(参照略)の振付を担当したことから発展したそうで。

TAKAHIRO:その舞台を見たプロデューサーの方が「今度デビューする欅坂46というグループがあるんですけど、MV撮影の○月○日空いてますか?」って声をかけてくださったんです。偶然その日だけスケジュールが空いていて、やりましょうとなりました。

リアルサウンド振付師・ダンサーTAKAHIROが語る、欅坂46の表現が進化し続ける理由『言うならば、振付は器』」〈2017年10月11日公開〉)

 エピソードとしてあまりにもできすぎているようにも思う(MV撮影の日にスケジュールがとれたからといって、それだけでこれほどまでに継続的に続く仕事を受けることになるとも思えない)が、2017年4月15日の「欅坂46SHOW!」でのインタビューでも同様のことが語られており、少なくともファンの立場としては額面通りに受け取っておくべきものだと筆者はとらえている。むろん、それ以前から練られたプロデュース側の戦略もあっただろうし、それは「持って生まれた」ものと数えるべきかもしれない。しかしそれでも、欅坂46は決してすべてを「持って生まれた」わけではなく、そのアイデンティティは一定の偶然を引き寄せて成立し、その偶然に立脚して深められていったものであったということを書いておきたい。

 ここでようやく話は「Nobody's fault」に戻る。「Nobody's fault」に(欅坂46の世界における)「僕」はいないと理解してよいのだと筆者は解釈している(歌詞に一人称はまったく登場しない。ただそれだけで「僕」の物語ではないと言い切れるわけではないが、それでもそう思う)。主人公としての「僕」が姿を消したことは、これまでのセンター・平手友梨奈がグループを去ったことと重ねて語ってもよいと思う。もう少し正しくいえば「これまでのセンター像」はある意味で手放した、ということになろう。平手の背中を追うことはやめる。欅坂46というグループが平手に殉じたようにとらえたくない、というのは前稿にも書いた通りだが、4年半にわたって展開されてきたパラダイムの大転換のために、改名というしくみが使われたと考えておくことにする。

 経緯を追っていくならば、「誰がその鐘を鳴らすのか?」の段階から少々転換が図られていたようにも思う。センターが「いない」とされたフォーメーションであり、歌詞も「僕」の物語と理解してよいのか判然としないという印象があった*50。その延長線上で「Nobody's fault」をとらえるという考え方は、正しいかはどうあれ胸落ちしやすい。歌詞が放つメッセージには、強さがある一方で欅坂46が描いてきた「僕」の姿よりは少々成熟したイメージもある。それは転換でもあるし、経験を土台にして成長しようとしているともいえるだろう。「誰も悪くない」=「他人のせいにするな」、というメッセージはわれわれに向けられているようでもあるが、彼女たちが自らに決然と突きつけたものであるようにも聴こえる。

 とはいえまだグループは始まったばかりで、楽曲もこの1曲しか世に出ていない。どの程度の幅をもって表現が重ねられていくかはわからない。「転換」を確かに感じとりつつも、この1曲をもってグループの色を判断してしまうのは避けようとも思っている*51

 

・終わりと始まりを告げる"27人"の声

 この「THE LAST LIVE」では、両日ともに「アフター・ライブ・スペシャル配信」においてメンバー全員がひとりずつ登場して思いを伝えるという場面が設けられた。2日目の配信は「Nobody's fault」の披露直後であり、正真正銘、櫻坂46としての「第一声」がここでめいめいに発せられることになった*52

 トップバッターとして静かにステージに歩み出してきた遠藤光莉にはそこまで緊張の色は強くなく、「自分にしかないものを見つけたい」と意気込みを表明した。いわゆる「新2期生」としてただひとり「Nobody's fault」のパフォーマンスに参加した大園玲は、いつも通り少しおっとりとはしていながらも、普段よりはなまりの少ない口調で決意を口にした。いくぶん緊張の色もあった大沼晶保は、「白いはずの桜に色がついているのは桜の心が燃えているから」と彼女らしい世界観で新グループへの思いを語った。幸阪茉里乃が迷いなく歩み出てきて、静かなトーンで淀みなく来し方と行く末を語るさまはいかにも彼女らしかった。増本綺良は笑顔を見せつつ少しずつ考えながら思いを口にしている様子で、グループ名を一瞬間違えそうになってしまったことも、むしろ素直さを表しているように思えた。守屋麗奈は緑一色のサイリウムに染まる客席を見ることができなかったことを(新しいグループでの活動への期待を含めて)口にし、「新2期生」のおかれた立場の難しさのようなものがいくぶん思われた。

 井上梨名が登場したとき、積み重ねたキャリアがまなざしとたたずまいに現れているな、と感じた。「欅坂46は一生の宝物」と語る言葉にはなんともいえない重みがあった。関有美子は誠実さがにじみ出るようなあいさつを終えたあと、少し表情をゆるめて両手でこちらに手を振った。武元唯衣は落ち着いたトーンと柔らかい笑顔で話し、「パワフルガールとして頑張っていきたい」と初期のキャッチフレーズを引いて決意を語ったことからは、彼女が重ねてきた年月のことが逆に感じられもした。田村保乃は少しおっとりした彼女らしい口調でありながら強さも感じさせる語り口で、少しだけ短めに語り終えて大人びた笑顔を見せた。藤吉夏鈴は名前を名乗ったあとに「本当にありがとうございました」とだけ口にして長いお辞儀をした。それはいかにも藤吉夏鈴という感じであった。松田里奈は明るいトーンの声と笑顔でオンリーワンの愛嬌を見せながら、グループへの思いと未来を語った。松平璃子は2年前の夏のオーディションに触れ「欅坂にしか入らない」とずっと言っていたということを明かした。まだ櫻坂46に追いついていない、と正直な胸の内を口にもしたが、改めて自分を変えたい、という決意であいさつをまとめた。森田ひかるは、普段はもう少し訥々と話すイメージがあったが、そのイメージより重く強く落ち着いたトーンで語り、「これから櫻坂46の応援よろしくお願いします」とまとめた。ありきたりな表現だが、新センターとしての決意が現れたたたずまいであったように思う。山﨑天は「欅坂46の山﨑天」としてあいさつを始め、「櫻坂46の山﨑天でした」と終えるという形で、彼女なりにひとつの大きな区切りを表現した。

 上村莉菜は「5年間」という時間の流れをいくぶん強調し、「本当に本当にありがとうございました」と応援への感謝を述べた。またあるいは、この順番で彼女が登場したことにはまだ少しの違和感と寂しさがあったことを書き残しておく。尾関梨香は天真爛漫なイメージとは少し異なる大人びた声で、「私は私らしく」進んでいくというメッセージを伝えた。「チーム全員で一生懸命頑張ります」という言葉には彼女らしい実直さが現れていた。小池美波は新しいグループ名を「まだちょっと言い慣れない」と率直に口にした。語り口の調子には明るく少し関西弁も含んだ「みぃちゃん」の色があり、「まっすぐ突き進んでいきたい」と笑顔を見せた。小林由依は、現行メンバーのなかでは誰よりも多くの機会でセンターに立ってきたことを反映したような堂々たるトーンで、「欅坂46という存在にこれからも支えられていく」と自らの向かう未来を表現した。齋藤冬優花はファンの応援を「一生の宝物」として感謝を述べ、新しいグループカラーに重ねて「何色にも染まれる柔軟な人間」になりたいと語った。菅井友香は冒頭で「さ……」とつっかえてしまい、緊張から多少解放されたような様子をうかがわせた。欅坂46としては「やりきれた」と語り、「謙虚・優しさ・絆」と「たくさんみんなで流してきた涙」を胸に未来へ向かうという決意を伝えた。土生瑞穂は「櫻坂46」のイントネーションをメンバーに確認するなど少し肩の力の抜けた様子で登場し、それが彼女のキャラクターといえるようになっていることに時間の経過と彼女の変化が思われた。原田葵欅坂46での日々を「宝物」と表現し、これからも「宝物」をつくっていきたい、と笑顔と真面目さがにじみ出る様子で語った。守屋茜欅坂46での自分について「全力を出し切れたので悔いはない」と述べ、少し言葉をつまらせながらも実直に未来に向けた思いを口にした。渡辺梨加は彼女のイメージとは異なる淀みなく饒舌な語り口で、メッセージをしっかりと準備してきた様子が見てとれた。そして最後には笑みもこぼしながらあいさつを終えた。渡邉理佐は明るさもありながら冷静なトーンで、いくぶん短めに感謝と決意を語り、その様子には「彼女らしいな」という印象があった。

 櫻坂46のオリジナルメンバーとなった26人があいさつを終えたその後、この日限りでグループを卒業する佐藤詩織が呼び込まれ、幾人かのメンバーと同様に、活動について「やりきった」と口にし、「ただひとつそれだけ」であると述べた。万感の思いをすべて「欅坂46」の思い出に閉じ込めて、彼女は活動を終えることになる。なお、配信でのライブ、新グループへの移行と特殊な状況ではあったが、欅坂46の歴史においてライブの場でメンバーに送り出される形で卒業したメンバーは、佐藤が最初で最後であったということになる*53

 配信ではこのあと、この日に21歳を迎えた松田里奈の誕生日が祝われるひと幕や(前日の「アフター・ライブ・スペシャル配信」では、この日に同じく21歳を迎えた大沼晶保の誕生日が祝われている)、新センターとしての門出を迎えた森田ひかるに改めてMCが振られるひと幕などがあった。活動終了、改名、卒業とさまざまなものが交差した夜であったが、このときにはもう誰の目にもほとんど涙はなく、希望を感じさせるハートフルな形で配信は閉じられた。配信終了後には公式Twitterアカウントから活動終了のメッセージと、36本の木の絵文字を並べたツイートがなされ*54欅坂46としてひとつの区切りとなる発信とされた(日付変更ごろにアカウントは新グループのものに切り替わり、公式サイトもオープンした)。その後、10月17日放送(10月23日再放送)の「SONGS」(収録放送)が最後のテレビ出演となり、欅坂46はすべてのメディア露出を終了した。

 

・新グループの滑り出しと体制

 新グループ・櫻坂46は、トップスピードで活動を開始した。10月14日には1stシングル「Nobody's fault」の発売が12月9日であることが公式サイトでアナウンスされ*55、10月15日発売の『週刊少年チャンピオン』2020年46号では井上梨名・山﨑天・森田ひかるが表紙を飾り、同日発売の『EX大衆』2020年11月号では藤吉夏鈴・松田里奈が表紙を飾ったほか、原田葵と井上梨名・田村保乃のインタビュー、および「新2期生名鑑」が掲載された。

 10月18日には、リニューアルした冠番組「そこ曲がったら、櫻坂?」が放送開始。番組名も放送内で発表されるという形でのスタートであった。この日の放送では、1stシングル表題曲のフォーメーション発表の模様がさっそく放送された。表題曲「Nobody's fault」は「THE LAST LIVE」ですでに披露されていたため、フォーメーションについてはサプライズのような色はなかったが、3列14人のフォーメーションのうち1・2列目の8人を「櫻エイト」と呼称し、この8人を固定する一方で3列目を楽曲ごとに入れ替える形で全員がパフォーマンスに参加する(ユニット曲・ソロ曲は1stシングルには収録せず、全楽曲が14人編成となる)という新システムが発表され、従来のあり方とは異なるメンバー編成の形は少々の驚きをもって受け取られた*56。また、「フォーメーション発表」「表題曲メンバー」という表現が用いられるなど「選抜」という概念はていねいに排され、放送後に公式サイトでは「欅坂46の頃からも大切にしていた、“全員で楽曲を届ける”という思いを込めた編成」と説明された。また、10月21日には同じく公式サイトで、森田ひかるに加えて藤吉夏鈴と山﨑天を含めた3人が楽曲によってそれぞれセンターを務める形となること、そしてセンターごとの3列目のメンバー編成が発表された。

 また、メンバーの体制的なものということでいえば、2018年12月加入の「2期生」9人と2020年2月加入の「新2期生」6人、という枠組みが、櫻坂46の活動開始とともに形式上取り払われている(公式サイトのプロフィールページおよびメッセージアプリのメンバー一覧においては、欅坂46時代は「2期生」のあとに「新2期生」が配列されるという形がとられていたが〈ただし「新2期生」という明文での表現は、ニュースでの便宜的表現などを除いてなされていない〉、これが15人を五十音順に並べるという形に変更された)。また、キャプテン制(菅井友香のキャプテン、守屋茜の副キャプテンという立ち位置)がどうなるかは2020年10月末現在では明言されておらず、今後どうなるかは不明という状況である。10月18日の「そこ曲がったら、櫻坂?」#1の最後のあいさつは従来通り菅井に任されたが、菅井自身もドキュメンタリー映画のなかで新しいグループにおいて「(自分が)キャプテンっていうのもどうなんだろう」と発言したり、その後のインタビューでも改名後のグループにおける自信の役割を問われ「まだわからないけど、後輩たちにとって自分の経験を役に立てられるように、力を尽くしたい(『BUBKA』2020年11月号、インタビューの収録日は9月2日)と表現を少々ぼかしたりするなど、不確定かつ菅井自身がいくぶん抑制的な態度をとっている面がある*57

 そして、これはかなりの部分で憶測になるが、「欅坂46時代の楽曲はもう披露されることはないのではないか」という印象、雰囲気があるように思う。日向坂46はひらがなけやき時代の楽曲をセットリストに入れることは妨げておらず、代表的な楽曲*58をリテイクしてアルバムに収録したり、2020年10月20日の「うたコン」ではひらがなけやき名義での初めての楽曲であった「ひらがなけやき」を歌唱したりするなど、楽曲披露の面でもひらがなけやき時代をふまえた形がとられており、改名がイコール過去の楽曲のお蔵入りということを意味するものではない。どうしてそんな印象になるかといえば、「THE LAST LIVE」があまりにも綺麗な形で終わったから、ということになるだろうか。1stシングルで14人編成の楽曲を7曲制作するということも、ライブでの披露を重視してということになるのかもしれない。

 改名発表直後の7月20日の「レコメン!」では、菅井が「今までの欅が決してなくなるわけではないし、曲も大切にしていけたらいいなって思っているので」と発言し、先に引いた「クランクイン!」でのインタビューでも、菅井は「サイレントマジョリティー」について「自分たちの始まりの曲でもあったので、改名してからも繰り返し歌い続けたいです」と語っていたというが、こうした発言はこれ以降の時期ではあまりみられなくなる。「THE LAST LIVE」直前のブログでは、大沼晶保が「このライブでどの曲も最後の披露になると思います。」とも書いていた*59。改名後の「はんにゃ金田と櫻坂46と日向坂46のゆうがたパラダイス」では金田哲が番組中で流された欅坂46の楽曲について「このパフォーマンスが二度と見られないかと思うと惜しい」という趣旨の発言を繰り返しており、少なくとも金田もそのような認識であることがわかる。これに対してメンバーは原田葵が「どこかで披露できたらまた嬉しいなと思います(10月26日放送回)と応じた程度で、あまり何かを明言したという場面はない。確かに二度と見られないかと思うと惜しいし、どこかでまたパフォーマンスを見られたら嬉しいとも思うが、そうなった場合にそれをどのように受け止めていいかはわからないという印象があるというところも、また偽らざるところだ*60。そうした点も含めて、今後櫻坂46というグループの表現がどうなっていくのか、見守っていきたいところである。

 

・グループの壮大なストーリー

 本稿を書きながら、ふと「ちょうど1年前はどのくらいの時期だっただろう」と思い返してみると、東京ドーム公演が終わってグループの動きとしては鳴りを潜めていたような印象があった時期で、9thシングルに向けて期待感を高めるような発言を菅井などがしていた頃であった。ドキュメンタリー映画では「10月のプールに飛び込んだ」の2回目のMV撮影が2019年10月23日であったと明かされていたが、そのくらいの時期にあたるということになる。平手友梨奈がグループを離れることくらいならまだなんとか予想できたかもしれないが(それにしたって想像はつきにくかったが)、シングルが発売されず、最終的にグループの改名にまで至っているとは、誰ひとりとして予想だにしていなかった事態であろう。

 どんなグループでも多かれ少なかれそうなのかもしれないが、しかし欅坂46の歴史を振り返ると、いくつもの大きな“if”が思い浮かぶ。結成日に「鳥居坂46」から改名するという形でグループがスタートし、オーディションの最終審査を欠席した長濱ねるの存在がひらがなけやきをつくり出した。前述のように、「サイレントマジョリティー」から振付師・TAKAHIROを迎えることだって決して確定したものではなかった。ひらがなけやきはある時期までは表題曲にメンバーが「選抜入り」することが構想されていたようであるし、そうなっていれば、日向坂46としての独立もなかったであろう。また、あまりこのような語られ方はされていないように思われるし、“if”として語るにも大がかりだが、「シンクロニシティ」という楽曲が乃木坂46ではなく欅坂46にあてがわれていたら、グループとしての表現の方向性はもっと異なるものになっていっただろうし、そうなっていればひょっとしたら平手の脱退もなかったかもしれないとさえ思う*61。9thシングルだって、台風でMV撮影が延期にならなければリリースされていた(しかももっと早く)かもしれない。9thシングルの発売日見直し以後、平手らがグループを離れ、いわゆる「新2期生」が加入し、新体制でグループを立て直そうとしたところにコロナ禍であった。これが決定打となり、グループは改名に進んでいったようにも見えてしまう*62。いくつもの「まさか」と「もしも」の向こうに、櫻坂46としての「いま」がある。

 ドキュメンタリー映画のなかで、欅坂46にデビュー以降関わり続けてきたTAKAHIROは、「大人の責任」とは何かと問われ、「点ではなく線で見続けること」というように答えている。いちファンにすぎない筆者には責任もなにもないが、少し似た気持ちを抱いているように感じる部分もある。筆者はどちらかというともう、彼女たちの楽曲や表現に救われるとか、影響を受けて人生が変わるとか、そういう年齢ではないのかもしれない(年齢がすべてということでもないが、しかしやはりそのような態度でファンをやっているというわけではない)。筆者は結成直後の時期に欅坂46と「欅って、書けない?」を知って、デビュー前からメジャーグループを見ていくと楽しいのではないか、と思ってファンになった。そうした経緯もあって、彼女たちの経験してきた時間に、つくってきた歴史に、ときにハラハラしながらも、ずっとずっと魅せられて過ごしてきた。だからこのような記事を書いてきたという側面もある。センターを含む多くのメンバーが次々とグループを離れ、改名という形でひとつの区切りをつけたグループを、大衆はどのように受け止めているのだろうか。ファンは減るのだろうか、増えるのだろうか。筆者にはわからないが、しかしこれからも、彼女たちの歴史を追い続けていきたいと思う。

 欅坂46は、「らしさ」に迷う場面はあまり多くなかった印象があり、むしろ「らしさ」のほうが先行してパブリックイメージがつくられたところもあるという珍しいグループであった。AKB48のカウンターパートとしての色がまだ色濃かった時代の乃木坂46には、「乃木坂らしさ」が2015年の全国ツアーで合言葉のように扱われるなど、「らしさ」を追い求めるゴールのない戦いを繰り広げた長い時間があった。日向坂46も、グループとしての立ち位置さえはっきりとしなかったひらがなけやき時代に、苦闘の末に「ハッピーオーラ」という合言葉とともに「らしさ」なるものにたどり着いた一方、日向坂46への改名後は「ひらがならしさ」と異なる「日向坂らしさ」を求めてもがいたようなところもあった(いまとなってはそれも落ち着いたという印象もあるが)。そのなかで欅坂46は、「僕」の物語という強力な縦軸をもって、「らしさ」との戦いを制してきた。その名前を手放して生まれ変わったからして、これからもしかしたら 「櫻坂46らしさ」に迷う瞬間も訪れるのかもしれない。「らしさ」との戦いには結局のところ明確な終わりはなく、時間を経てパブリックイメージが形成されることでしだいに解消されるものであるという印象がある。それは菅井友香のいうところの「茨の道」*63の一部を形づくるのかもしれない。しかしその道さえもきっと、予想もできないくらいのスピードで、彼女たちは駆け抜けていくのだろう。

 

 まだ何色にも染まっていない真っ白なグループ。歴史はこれからつくられる。

 期待と応援の気持ちを胸に、これからも見届けていきたい。

 

 未来のことは誰にもわからない。

 でも大丈夫だ。われわれは知っている。彼女たちは、強い。

 

 

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*1:連載記事「菅井友香のお嬢様はいつも真剣勝負」第24回。月刊誌で2年以上続く連載であり、改名を受けてオファーされたものではない。

*2:ここまで挙げてきた『B.L.T.』『blt graph.』両誌でのインタビューの聞き手は、どちらも同じ(ライター・平田真人)である。

*3:この段階では「ラストライブ」という表記であった。

*4:これに続き、8月24日の「CDTVライブ!ライブ!」、9月9日の「シブヤノオト」、9月12日の「THE MUSIC DAY 〜人はなぜ歌うのか?〜」、9月30日「テレ東音楽祭2020秋」に出演。また、8月30日の「欅って、書けない?」#247ではスタジオライブが行われた(ここまでの披露曲はすべて「誰がその鐘を鳴らすのか?」)。そして「THE LAST LIVE」を終えたあとの10月17日の「SONGS」で「誰がその鐘を鳴らすのか?」および「太陽は見上げる人を選ばない」が披露され、これが欅坂46として最後の音楽番組への出演となった。

*5:平手が欠席した1日目の公演をふまえ、2日目に向けてスタッフ側が残されたメンバーを鼓舞しながら、センターの代理を立てることを提案し、メンバーもそのフォーメーションを試している様子が描かれた(その一方で、それに対して激しく困惑するメンバーもいたことも描かれている)。また、インタビューではこの段階では「代理センター」で穴を埋めることに否定的な印象をもっていたメンバーが多くいたことが示唆されてもいる。結果としてグループは「代理センター」を立てる選択しないことをメンバー主導で判断し、メンバーは揃って平手のもとに向かって話し合いを行ったのだという(参考:齋藤冬優花公式ブログ 2017年9月5日「この夏についてのブログなのですが、あまりハードルあげないでください。_| ̄|○……(552)」)。結果として2日目の公演に平手は全編に出演することになるのだが、このことには映画のなかでは触れられず、「代理センター」を立てて臨まれた「2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE」の模様につなげられる編集がなされていた。この間にはグループとしては平手の不在による日本武道館公演の中止(ひらがなけやきの公演への振り替え)などの出来事もあり、かなり飛躍した編集とも思えるが、グループの歩みとその結末をうまく映画作品に落とし込んでいるという評価もできようかと思う。ただし、事実として平手が愛知公演2日目に出演しているということは、ここに明確に書き残しておきたい。

*6:一方で、ダブルアンコールの「W-KEYAKIZAKAの詩」で平手がステージに戻ってきた様子については描かれなかった。なお、この模様はベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」TYPE-BのBlu-rayに収録されている。

*7:この年には7月26日9時に台風6号が発生し、27日7時頃に三重県に上陸している。映画内には、前日リハーサルでも曇天で風が強く吹き、小道具として用意された風船が飛ばされてしまうシーンも印象深く挿入されていた。

*8:FLASH』2020年9月15日号のインタビューでは、菅井は「私は去年の12月に撮影したインタビューにちょっともやもやしました。今だったら笑顔で話せることなのに深刻になりすぎちゃったかも」とも発言している。

*9:週刊プレイボーイ』2020年9月21日号のインタビューでは、菅井が2019年の「紅白歌合戦」のあとに平手から「もう一緒にやれない」と伝えられたということを明かし(「こういう日が来るっていう覚悟はずっとしていた」ともいうが)、守屋は「年末の紅白の頃には、何か覚悟してるような雰囲気をすごく感じていたので、『これが最後だろうな』って予感はありました」と回想している。ただ、映画のなかでは渡邉理佐が「もしかしたらドームで最後かもしれないというのは感じてた」と語ってもいる。なお、正式にメンバーに平手の脱退が伝えられたのは、「年明けに集まったとき」だったという(映画内での小林由依の発言による)。

*10:映画の内容に関する記述は基本的に筆者の記憶と殴り書きのメモにもとづくため、不正確な部分も多分にあろうかと思う。今後ソフト化されることがあれば、全体として記述の正確性を見直したい。

*11:『CUT』2020年4月号、『CM NOW』2020年5-6月号、シネマトゥデイ『僕たちの嘘と真実 DOCUMENTARY of 欅坂46』菅井友香 単独インタビュー」(2020年3月26日公開)など。

*12:欅坂46の葛藤『逃げるという選択肢はなかった』グループを諦めなかった理由は?<インタビュー前編>」(2020年8月29日)以降5本の記事。

*13:欅坂46・菅井友香、改名後も『サイレントマジョリティー』は歌い続けたい <菅井友香&守屋茜インタビュー>」(2020年9月3日公開。前半は菅井・守屋への3月の取材、後半は菅井ひとりへの8月の取材の内容で構成されている)。

*14:欅坂46菅井友香:最初で最後のキャプテンとしての思い『誠実でいたいとずっと強く思っていた』 “原動力”語る」(2020年9月6日公開)。

*15:渡邉理佐が語る、“欅坂46での5年間” 『その瞬間に思った、感じたことに嘘はないと思う』」(2020年9月6日公開)。

*16:小池美波×渡邉理佐×原田葵が語る、欅坂46の歩み “0番”に立ったあの日を振り返る」(2020年9月6日公開)。

*17:カメラがとらえた葛藤そして平手友梨奈との絆!欅坂46 インタビュー」(2020年9月9日公開)。

*18:欅坂46インタビュー『初めて見せた裏側』【映画『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』】」(2020年9月12日公開)。

*19:小池美波、小林由依、菅井友香、守屋茜が語る欅坂46の5年間とこれから」(2020年9月14日公開)。

*20:欅坂46・二期生、改名発表後の気持ちの変化 次第に大きくなる『寂しさ』と『期待』」(2020年9月16日公開)。

*21:渡邉理佐、欅坂46の5年間は『“波瀾万丈”しか出てこない』」(2020年9月18日公開)。

*22:菅井友香が明かす、欅坂46の『嘘と真実』…平手友梨奈への想いと“25歳の決意”」(2020年9月18日公開)。

*23:<欅坂46武元唯衣・田村保乃・松田里奈インタビュー>『顔色を伺ってしまっていた』グループでの“居場所”に葛藤…大きな決断に思う悔しさ」(2020年9月19日公開)。

*24:「誰がその鐘を鳴らすのか?」は2020年2月25日放映開始のイオンカードのCMにおいて曲名含め初解禁されたが、それ以前には存在について触れられたことはなく、これに近い時期に(平手の存在を前提にせずに)あてがわれた楽曲であったと受け取られていたのではないかと思う(少なくとも筆者はそう思っていた)。なお、CM使用のバージョンの制作のときは2020年2月16日加入のいわゆる「新2期生」はまだ制作に参加していないと考えられ、8月21日の配信リリースまでに「新2期生」を加える形で再度制作されていることになり、リリースに至るまでの段階でかなり変遷があった楽曲であったということができる。

*25:特に“黒い羊”の時期とか、本当に追い込まれちゃう子がいたので、それが心配でした。」(『CUT』2020年4月号 p.80)。

*26:この間の9月11日に、ベストアルバムへ収録予定であった2017年の全国アリーナツアー「真っ白なものは汚したくなる」千秋楽公演の「Discord Short Act」および「不協和音」の映像が、「過激な表現が含まれている」として収録がとりやめとなることが発表されている。

*27:映像は当日深夜の「欅って、書けない?」内のCMで流され、および翌朝の公式Twitterアカウントにも掲載されたものと同じものである。

*28:「黒い羊」のライブでの披露は2019年5月11日の「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」東京公演3日目以来1年以上ぶりであった。全国握手会のミニライブを除くと、単独ライブでの披露はこのときが2回目である。「風に吹かれても」「危なっかしい計画」で幕を開け、全体的に明るいトーンのライブのなかでセットリストに含まれたことになるが、これは「10月のプールに飛び込んだ」「誰がその鐘を鳴らすのか?」と並んでイオンカードのCMソングというくくりで披露されたという形であった。

*29:石森の卒業により、「砂塵」の歌唱メンバーは、リリース日(10月7日)時点における、いわゆる「新2期生」を除いた21人全員という説明ができることになった。なお、石森は「コンセントレーション」には歌唱メンバーとして参加している。

*30:過去のブログを振り返ると、今泉佑唯の卒業発表の際は初めての卒業メンバーということもあり悔しさのにじむトーンではあったものの、その後に続く米谷奈々未の卒業発表志田愛佳の卒業発表長濱ねるの卒業発表織田奈那・鈴本美愉の卒業および平手友梨奈の脱退、佐藤詩織の一時活動休止の発表長沢菜々香の卒業発表の際は(更新までにいくぶん時間をかけることもあったものの)受け入れて全体的には前向きなトーンでまとめていたと感じられる。その後の佐藤詩織の卒業発表の際のブログは、トーンとしてはかなり明るい。

*31:当時の表記は「デビュー1周年記念ライブ」または「1st ANNIVERSARY LIVE」であったが、ベストアルバムへの映像収録の際にこの表記に改められた。本稿の表記は、これによることとする。

*32:以後「THE LAST LIVE」についての記述は原則として筆者の記憶と走り書きのメモによっているため、誤りを含む可能性が大いにある(メモをとりながらライブを鑑賞するのもいかがなものかという気もしたが、そこも含めて配信ライブの利点であると考えることにした)。お含みおきいただくとともに、誤りとみられる記述を発見したらご指摘いただきたい(そうなっても、検証することはなかなか難しいが)。

*33:これはおおむね「1期生のみの時代に当時のメンバー全員が参加していた楽曲」と言い換えることができ、前稿でもそのような形で用いてきた語である。今回はここに、リリース当時の全メンバー28人が参加した「誰がその鐘を鳴らすのか?」と、ベストアルバムで初収録された「10月のプールに飛び込んだ」および「砂塵」が加わる概念として用いているが、「10月のプールに飛び込んだ」のパフォーマンスメンバーは歌唱メンバー通り(2019年9月8日に「9thシングル選抜メンバー」として発表された17人から平手友梨奈を除いた16人)であったため、「全員曲」と称するのは正しくなく、それまでが「全員選抜」という形であったという認識に立ったうえで「選抜曲」と称するほうがいまとなっては妥当かもしれない。ただ、「選抜制の導入」は9thシングルの機会においてである、という理解は通説的であるといえるため(「選抜発表」という表現は過去においてもなされたことはあったが)、「10月のプールに飛び込んだ」より前の楽曲に「選抜」という表現を用いることは適切ではないと考えのもと、本稿でも引き続き「全員曲」という表現を用いることとする。

*34:なお、当時のひらがなけやきと合同(「欅&けやき坂組」名義)の楽曲については、これも便宜上前述の「全員曲」に含むものとして取り扱うが、セットリストには「太陽は見上げる人を選ばない」は含まれたものの「W-KEYAKIZAKAの詩」は含まれておらず、ここまで述べてきた「全員曲」の概念を厳密にとらえるならば、セットリストに含められたのは「『W-KEYAKIZAKAの詩』を除くすべての『全員曲』」ということになる。

*35:「コンセントレーション」は、9thシングルがリリース予定であった段階の小池美波の発言によれば「(欅坂で初めての)アンダー曲」(『B.L.T.』2020年1月号 p.42)であるとのことだが、これを受け入れるとしても該当する楽曲がこの1曲しかないこと、9thシングルは実際にはリリースに至らず、ベストアルバムへの収録にあたっては「アンダー曲」またはそれに類する表現は用いられていないこと、歌唱メンバーが7人(「THE LAST LIVE」でのパフォーマンスメンバーは5人)という規模感であることを考慮し、「ユニット曲」として取り扱うこととする(なお、結成以来選抜制をとっている乃木坂46におけるアンダー曲は、ユニット曲としては取り扱わないのが一般的である。歌唱メンバーの最少人数は、23rdシングル「Sing Out!」所収の「滑走路」の10人)。

*36:小林由依が単独で披露した。オリジナルメンバーは、今泉佑唯小林由依の「ゆいちゃんず」。

*37:なお、これをもって、欅坂46の歴史において、ユニット曲の披露の場で卒業メンバーのポジションはすべて空けた形で披露され、代理として他のメンバーが入ったことはなかったということになった(2019年4月20-21日・4月27-28日の「二期生『おもてなし会』」において、「青空が違う」「僕たちの戦争」「夕陽1/3」「音楽室に片想い」が2期生によって演じられたというケースはあった)。

*38:グループの歴史上、ソロ曲をあてがわれたメンバーは今泉佑唯平手友梨奈・長濱ねるの3人であり、全員すでにグループを離れている。

*39:「欅共和国2018」「夏の全国アリーナツアー2018」「欅共和国2019」での「AM1:27」、「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」大阪公演での「100年待てば」、「欅共和国2019」での「バスルームトラベル」。

*40:特に「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」東京公演や、追加公演を除く「夏の全国アリーナツアー2019」については、「全員曲」のみで構成されたライブであった。

*41:ひらがなけやき(現・日向坂46)のメンバーにもこの公演を見届けた者が多かったとされるほか、10月12日の「はんにゃ金田と欅坂46と日向坂46のゆうがたパラダイス」(出演メンバーは丹生明里・宮田愛萌)および10月13日の「レコメン!」(加藤史帆がレギュラー出演)では「W-KEYAKIZAKAの詩」がオンエアされるなど、欅坂46との紐帯を感じさせる出来事もあった。

*42:「10月のプールに飛び込んだ」を除く。

*43:「全員曲」として演じられた場面でセンターに立った平手友梨奈鈴本美愉土生瑞穂小林由依渡邉理佐、小池美波の6人に、2019年4月20-21日・4月27-28日の「二期生『おもてなし会』」で2期生9人によって演じられた際にセンターに立った森田ひかるを加えて7人とし、2019年10月30日-11月21日の「坂道グループ合同 研修生ツアー」で演じられた際にセンターを務めた髙橋未来虹(当時坂道研修生、現日向坂46)は含めないこととした。センターに立ったメンバーが7人という数字は、他の楽曲を圧倒して最多である。

*44:この人数が1stシングル衣装を着用したことは過去になかったため、新たにつくり足されたものもあったと思われる。

*45:テレビ番組、ライブ、イベントなど、「欅坂46」として披露(「欅坂46二期生/けやき坂46三期生『お見立て会』」での披露を含む)したすべてのパフォーマンスの回数を筆者が数え起こした数字である。その他全楽曲の披露回数を集計した記事を公開しているのでご参照いただきたい(→「欅坂46がいちばん多く披露した楽曲ってどれだと思いますか?」)。

*46:理由は不明だが、ここに鈴本美愉の名前がなかったことが公演終了後に話題となった。いかなる理由があったとしても、少なくとも喜ぶべき事態ではないのだが、どうしても一筋縄ではいかない、どこか綺麗には終われないさまは、それはそれで「欅坂46らしさ」でもあったと感じる(筆者はこの言葉を便利に使いすぎているようにも思うが)。彼女のこともほかのすべてのメンバーのことも、それぞれの記憶のなかにとどめておけばいいのだ。ちなみに、このときに投影された元メンバーの名前にはひらがなけやきとして「欅坂46」に所属したメンバーの名前も含まれていたが、ひらがなけやき唯一の3期生として加入し、約2か月間をグループで過ごした上村ひなのの名前はなかった。漢字欅、特に1期生とのかかわりはほぼなかったといってよいが、2018年12月10日の「欅坂46二期生/けやき坂46三期生『お見立て会』」のミニライブでは「サイレントマジョリティー」にも参加するなどしており、これはこれで少々寂しい取り扱いである。

*47:欅坂46の歴史において、このようにワンマンライブの終末で(サプライズに近い形で)初披露された楽曲には、2016年12月24日の「初ワンマンライブ」1公演目での「W-KEYAKIZAKAの詩」、2017年7月23日の「欅共和国2017」2日目での「危なっかしい計画」、2018年7月22日の「欅共和国2018」3日目での「アンビバレント」、2019年9月19日の東京ドーム公演2日目での「角を曲がる」、2020年7月16日の「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU ! 」での「誰がその鐘を鳴らすのか?」があった(定義をどうするかによって少々のぶれはある。2017年8月30日の全国ツアー2017千秋楽での「自分の棺」もしっくりこないが該当するような気もするし、2019年4月4日の「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」大阪公演1日目での「シンクロニシティ」をどのように考えていいかよくわからない)。このうち、楽曲名や音源まで含めてまったく世に出ていない完全な「初披露」だったのは、「W-KEYAKIZAKAの詩」と「アンビバレント」の2曲。

*48:予防線を張るようだが、筆者はファクトを集めて編むことに喜びを感じて文章を書いているようなところがあり、あまり評論のようなことがしたいわけではなく、またそれを得手としているわけでもないので、あまり自信をもってこの分類を持ち出しているわけではないということを言い訳がましく書いておく(これまで耳目に入れてきた声や文章を多分に反映している部分は当然あると思うし、凡庸な発想だとも思うが、一応はオリジナルのつもりで持ち出している分類である)。表題曲でいっても、「風に吹かれても」をどう位置づけていいかは(いまのところ)わかりそうでよくわからない。

*49:『BRODY』2016年6月号の記事による。この項の記述は全体としてこれを参考にしている。

*50:これをふまえて筆者は「転換が図られた」と解釈したが、ただ前述のように「誰がその鐘を鳴らすのか?」は平手がいた時期にあてがわれた楽曲であったことがリリース後の時期に明らかにされている。リリース前の段階であれば制作の過程で歌詞を含む楽曲に手が入れられるケースもあるが、そこまで大幅な変更があったとも考えにくく、理解として妥当であるかどうかには自信がない部分もある。

*51:なお、2020年10月末現在において「Nobody's fault」の振り付けが誰によって行われたのかは明らかにされていない。歌唱衣装はデザイナー・Remi Takenouchiの手によるものであったといい、デザイナー・尾内貴美香がほぼ一貫して手がけてきた欅坂46時代とは変化がつけられているともとれる。

*52:以下、各メンバーについて述べていくが、メモがうまく取れたかどうかによって記述に濃淡があることをご寛恕いただきたい。思い入れのあるメンバーというものは筆者にもいるが、それによってここで軽重をつけるという意図はない。

*53:これまでに最終活動日にファンの前に立ったのは、今泉佑唯(2018年11月4日の個別握手会〈京都パルスプラザ〉)、米谷奈々未(2018年12月22日の全国握手会〈インテックス大阪〉。ただし、2019年2月10日のスペシャルイベント「私物サイン会」には参加しており、厳密にいえばこれが最終活動日)、長濱ねる(2019年7月30日の卒業イベント「ありがとうをめいっぱい伝える日」。トークなどを中心としたステージでのイベントであったが、長濱以外のメンバーの出演はなかった)の3人のみで、ほかにここまでにデビュー以降グループを離れた志田愛佳・織田奈那・鈴本美愉平手友梨奈・長沢菜々香石森虹花は公式サイトでの発表をもって卒業・脱退したという形であった(厳密には、長沢は2020年3月29日に「3月31日をもってグループを卒業」とアナウンス。コロナ禍もあり、イベントの場などはなかった)。

*54:デビュー以降において(つまり、鈴木泉帆と原田まゆを含まない)欅坂46漢字欅。長濱ねるは当然ながら漢字欅に含む)に所属した全メンバーの人数が36人。

*55:一部ネットニュースでは前夜のうちにすでにこの旨は報道されていたので、「THE LAST LIVE」の終了とともに情報解禁されたものと思われる。

*56:これに類似するシステムとして、乃木坂46のフォーメーションにおいては、3列のフォーメーションのうち1・2列目のメンバー(一部のシングルでは例外があるが、近年はこの形で定着している)を「○福神」と呼称することが行われているが、選抜メンバー/アンダーメンバーという枠組みの存在感が強く、楽曲もおおむね選抜/アンダー/ユニットおよびソロという形で歌唱メンバーが選ばれており、近年においてはこのシステムは形骸化しているといっていい(福神とされるメンバーは10人を超えることが常態化しており「七福神」という語源からも少々乖離がみられるほか〈初期を中心にシングルの選抜メンバー以外にもさまざまな場面で「七福神」というメンバーのまとまりがつくられることもあったものの、シングルにおける福神メンバーが7人だったのは1stシングルから3rdシングルまでのみでもある〉、このまとまりでメンバーが動くこともほぼない)。その意味で、カップリング曲においても「櫻エイト」の枠組みを維持するという点には新規性があり実質をともなっているともいえる。

*57:日経エンタテインメント!』2020年12月号(11月4日発売)からは、菅井友香の連載がグループ改名にともない「菅井友香のお嬢様はいつも真剣勝負」から「菅井友香 いつも凜々しく力強く」にリニューアルされた。あわせて、菅井の肩書きが「欅坂46 キャプテン」から単に「櫻坂46」と変更されており、「キャプテン」の表記が外された形となっている。

*58:ライブでの定番曲「誰よりも高く跳べ!」、2期生が加わって初の楽曲であった「NO WAR in the future」、東京ドームの舞台を目指す思いが歌われたアンセム「約束の卵」の3曲。

*59:一方で、このような形で楽曲の扱いについて言及されたのは筆者の知る限りこの大沼のブログが唯一の例であり、全体としてのトーンはかなり抑制的であるとの印象もある。大沼による言及はかなり重いもので、かつ率直な思いなのであろうが、これだけをもって何かを確信することはできない(もしくは、したくない)とも思う。

*60:脈絡があるようなないようなエピソードであるが、オリジナル楽曲が少なかった時代のひらがなけやき漢字欅の楽曲もライブにおいて多く披露していた一方、オリジナルの新曲18曲が書き下ろされたアルバム「走り出す瞬間」のリリース(2018年6月20日)以降は漢字欅の楽曲を一度も披露していない(カバーという意味では、2018年1月30日の「ひらがなけやき日本武道館3DAYS」1日目および2018年2月12日の「2期生『おもてなし会』」で2期生によって演じられた乃木坂46の「おいでシャンプー」が、2019年3月5-6日の「デビューカウントダウンライブ」でも〈「ひらがなけやきのラストライブ」という形がとられた前半のパートにおいて〉披露されたという例もあったにもかかわらず)。今後櫻坂46が欅坂46の楽曲を披露しないとなった場合は、このケースに印象が近くなる。

*61:平手によれば「シンクロニシティ」は、「秋元(康)さんからデモ曲としていろいろ聴かせてもらってて、あの曲が来て。これは絶対欅でやりたいと思ってたけど、まさかの乃木坂さんになっちゃって」(『ロッキング・オン・ジャパン』2019年6月号 p.69)という楽曲であり、こうした背景があって「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」大阪公演で披露されたという経緯がある。欅坂46のシングルとして時期が重なるのは「ガラスを割れ!」で、前作の「風に吹かれても」から一転、再度ハード路線に進んだ形であったといえるようにも思う。いまとなっては「シンクロニシティ」は乃木坂46にとって2作目のレコード大賞受賞作となり、弾けるようなアイドルらしさよりは優美さを感じさせ、グループとしての成熟を思わせるような近年の代表作のひとつとなったが、だからこそこの楽曲が欅坂46にあてがわれていたかもしれなかったという思考実験には心を揺さぶられるものがある。「10月のプールに飛び込んだ」の制作にあたり、「どうしても表現ができない」という状態に陥ったという平手だが、楽曲のテイストが別の路線に進んでいれば、もっと違う未来もあり得ただろうか。

*62:「4th YEAR ANNIVERSARY LIVE」は2020年4月15-16日に予定され(4月6日のデビュー4周年を記念した菅井のYouTube配信での発言)、「欅共和国2020」の開催も予定に入っていたということである(5月29日の「欅共和国2017」YouTube配信で開催見送りを発表)。菅井も「コロナの自粛がなかったら、4月に(デビュー4周年)アニバーサリーライブを行う予定だったので、『欅坂46としてこれからもやっていきます!』という宣言もできたと思うんですけど」(『B.L.T.』2020年10月号 p.10)と発言しており、少なくとも当分の間は「欅坂46」の枠組みは維持されるものとして想定されていたことが読み取れる。

*63:「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU !」での改名発表のスピーチにおける表現。