坂道雑文帳

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アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて(5)

(5)Postscript〈1〉:「ひめきい」の“それから”(11月7・8日、東京ドーム公演)

「アンダー 人知れず 汗を流す影がある
 ステージを 支えてるのに…」

・“それから”の乃木坂46と「ひめきい」

 アンダーライブ全国ツアー九州シリーズから、3ヶ月近くの時間が流れた。
 この間乃木坂46は、11月7日と8日に「真夏の全国ツアー2017 FINAL!」として開催された東京ドーム公演をはじめ、シンガポールでの公演、日本レコード大賞の受賞、紅白歌合戦への3回目の出演など、引き続き坂道を駆け上がり続けてきた。
 あるいはアンダーメンバーについても、12月にはアンダーライブ近畿・四国シリーズの開催、1月にはアルバム「僕だけの君~Under Super Best~」のリリース、そしてそれにともなうアンダーメンバーだけでの音楽番組への出演など、その活動をさらに拡大させている。
 
 前回までの記事を書いていた頃には明言されていなかった中元日芽香伊藤万理華の卒業時期についても、2017年内がひとつの区切りとなり、1月末にはブログもクローズされる。
 そして北野日奈子については、11月16日に体調不良による休養が正式にアナウンスされた。

 九州シリーズでの情景を思い起こせば「まだ3ヶ月」とも思えるが、こうして出来事を並べてみると「もう3ヶ月」だとも言えるだろう。
 本稿では「ひめきい」を軸に、主として東京ドーム公演について振り返りながら、もう少し「アンダー」について書いてみたいと思う。


・九州シリーズ直後、東京ドーム公演

 乃木坂46「真夏の全国ツアー2017 FINAL!」東京ドーム公演。
 公演を終えた現在ではその記念碑的な位置づけや、2日目ダブルアンコールで中元日芽香伊藤万理華を送り出した「きっかけ」が語られることが多いように思うが、公演前にはブラックボックスの部分が多い公演だったようにも思う。
 どのような演出がなされるかの予告がないのはもちろんだが、「全曲披露」「最新リリース曲披露」などの縛りもなく、そして中元が出演するのかどうかさえなかなか明らかにされなかった(「グッズがある」という形で判明したと記憶している)。
 また、中元と万理華にとって最後のライブになることが初めて明言されたのも、この公演内だったということにも触れておかなければならない(ダブルアンコールの冒頭で桜井玲香が言及する演出だったのだと思うが、生田絵梨花がMC中に触れてしまったのはご愛嬌であった)。

 「アンダー」について言えば、東京ドームでは披露されないのではないかと筆者は思っていた。九州シリーズ千秋楽のステージを「オリジナルメンバーでの披露は最後になるかもしれない」と見届けたことを覚えているし、前稿でもそのように書いた。
 東京ドームのセットリストに「アンダーブロック」がまとまって用意されるという予測もはっきりとはしていなかったし、北野日奈子の体調面での心配が続く中でもあった。そして何より九州シリーズでうかがい知った、Wセンターを筆頭とするメンバーたちのこの曲に対する苦闘を思い起こせば、あえてもう披露しなくてもいいのではないかという思いさえあった。


 思い出していたのは、「真夏の全国ツアー」地方公演初演、8月11日の仙台公演のことであった。「乃木坂46がここまで大きくなったのは、選抜とアンダーがあったから」という趣旨のVTRの演出とともに初披露された「アンダー」、そのセンターにひとりで立った北野日奈子の号泣、という情報が飛び交い、筆者の観測範囲に限っても炎上に近い状態だったと記憶する。そのVTRは初演のみで演出から消え、「アンダー」だけがセットリストに宙ぶらりんに残された。
 メンバーへの応援より演出への批判がやかましく聞かれる状況には、個人的には怒りに近い感情もあった。しかしそれは、受け止めた誰もが複雑な思いを抱く曲であるということでもあろう。曲としての「アンダー」は、どうあっても好きでいるつもりだった。しかしそれを東京ドームという舞台でもう一度見たいかと自らに問うたとき、何も考えずに首を縦に振れるわけではない自分もいた。

 それ以前に、北野日奈子は公演に出られる状態なのか。中元日芽香は無理をしてしまっていないか。「46人の乃木坂46」は、ステージに揃うことができるのか。その全員が笑顔になり、輝くことのできるステージになるのか。
 確実に大きなメルクマールとなる東京ドーム公演に立ち会えることを楽しみにしつつ、数ヶ月抱え続けてきたそんな複雑な思いも、たくさん胸をよぎっていた。


・東京ドーム、「アンダーブロック」の衝撃

 迎えた東京ドーム公演当日。
 その初日、overtureからの「制服のマネキン」で始まったステージに、中元日芽香北野日奈子の姿はなかった。
 1期生を中心とする代表曲として「真夏の全国ツアー」初演の明治神宮野球場でも披露され、中元の登場シーンでは大歓声が起きた「制服のマネキン」。あるいは中元・北野が揃って選抜入りし、堀未央奈と3人で「サンダル脱ぎ捨て隊」を結成した「裸足でSummer」。
 綺羅星のごとき代表曲が次々と繰り出されるなかで、そこにいるはずの「ひめきい」の不在は際立った。


 公演中盤、アンダーブロックの始まり。少し長めのVTRが流れ、最高潮の盛り上がりを見せていた東京ドームが一瞬静まる。乃木坂46のステージを確実に支え、盛り上げてきたアンダーライブの熱さとアンダーメンバーの戦いの歴史を振り返り、その役割を認め讃える内容だったと記憶する。
 込められたメッセージは、「真夏の全国ツアー」地方公演の「アンダー」のそれと重なるものだったかもしれない。しかし時を経て、また状況も変わり、あるいはVTRのつくりも丁寧になったこともあっただろう。今度は多くの人の心に、すうっと落ちるものであったのではないだろうか。

 そして客席の沈黙を破り、そのアンダーメンバーたちが登場する。
 19thアンダーメンバーと、歴代のアンダーライブ経験メンバーがひとりずつ名前を呼ばれ、サブステージに登場する演出。
 割れるような大歓声に包まれた客席は一瞬にしてボルテージを取り戻す。そして「かつてこの場所にいた」メンバーとして最初に登場したのが、中元日芽香。それに続いたのが、北野日奈子。そしてその最後を締めくくったのは、伊藤万理華だった。
 大声援のなかで披露された、ブロック1曲目「ここにいる理由」。それはステージ上の彼女ら全員が切り拓いてきた、アンダーライブそのものだった。


 少年漫画のような演出だったと思う。多くの人が、似たようなことを考えたことがあったかもしれない。
 あるいは過去のアンダーライブでも、そのタイミングでの選抜メンバーがゲスト的に登場することは幾度かあった。特に日本武道館でのアンダーライブのアンコールはいまでも語られるところで、永島聖羅がそのステージにいたことを考えれば、アンダーライブの歴史をひもとくと考えるならば、そちらのほうがより完全に近い姿だったのかもしれない。
 しかし、それから乃木坂46が2年近く歩みを止めずに成長してきたこと、そしてその全体のライブ、しかも東京ドーム公演でアンダーブロックが設けられたことを考えあわせれば、その意味あいはより大きいものと言って差し支えないだろう。
 そして、このタイミングでしか成立しえないものだったことも確かである。アンダーライブの歴史を振り返るにあたり、中元日芽香伊藤万理華は欠くことのできない二大メンバーであろう。このふたりでアンダーセンターを計7回(中元のWセンター2回を含む)。センターメンバーが卒業した「左胸の勇気」と「涙がまだ悲しみだった頃」も、伊藤万理華がその代理を務めてきた。このふたりがいなければ、ここまでのアンダーライブを総括するステージにはならなかったかもしれない。


 ふたりの卒業のタイミングだからこそできた、と思うわけではない。ある意味では、すべては偶然だったのかもしれない。しかし、そんな一瞬の奇跡をつかまえて成立したアンダーブロックは、その意味ではもしかしたら、今回の東京ドーム公演における最大のハイライトシーンだったかもしれない。
 今後グループがどこまで成長しても、どんなに大きな舞台に立っても。あるいは今後も成長を続けていくからこそ、もう二度と成立しえない。そんな衝撃の演出であった。
 筆者自身の話をすれば、アンダーブロックではずっと、2日とも涙が止まらなかった。1日目は中元と北野の登場の衝撃で、2日目は万理華登場の大歓声で、それぞれあっという間に決壊してしまっていた。


・11万人が見届けた「アンダー」、ガーベラの花が咲く

「アンダー 影の中 まだ咲いてない花がある
 客席の 誰かが気づく」

 伊藤万理華センターの「ここにいる理由」で始まったアンダーブロックは、井上小百合センターの「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」、そして中元日芽香センターの「君は僕と会わない方がよかったのかな」と続く。網膜に焼き付いている、一瞬にしてピンク一色に染まった会場。それは「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」で休業中の中元からのメッセージが流れたとき以来の風景でもあった。
 続く「生まれたままで」ではセンター伊藤万理華を中心にメンバーが花道を歩き、メインステージへと移動する。そして「過去のアンダーメンバー」がステージを去り、18thアンダーメンバーだけをステージに残して披露されたのが、「アンダー」であった。

 率直に言えば、筆者は「アンダー」という曲について、「過去のアンダーライブ経験メンバー全員を歌唱メンバーとして制作し、アンダーアルバムに収録すべきだったのではないか」と考えていた。そしてなおかつ特定のセンターメンバーを作らなければ、この曲のファンの間での評価はまったく違っていたのではないかとさえ思う。特に東京ドーム公演、アンダーアルバム発売、というわかりやすいメルクマールがあるならば、そのような形をとることも難しくなかっただろう。
 くすぶり続けていたその思いは、しかし九州シリーズで一変した。中元と北野を中心に苦闘を続けてきた18thアンダーメンバー18人は、九州シリーズを完走したことで、この曲を見事に自分たちのものにしたのである。「希望」を花言葉にもつ白いガーベラの花が、あの宮崎のステージには確実に咲いていた。その過程は、「アンダー」の歌詞の世界観そのものでもある。
 その曲が、苦闘の日々が、彼女らにあてがわれなければならなかったものなのかは、わからない。しかしただひとつ言えるのは、彼女らがその苦闘の日々を乗り越えたということである。


 「影の中まだ咲いてない花がある」でドーム天井に八方から集められたスポットライトの光。それはきっと、あの白いガーベラの花だったのだと思う。
 その光は「客席の誰かが気づく」でぱっとほどけて客席を照らし、18人が立つメインステージの照明と入れかわるように消えた。
 2日間で11万人が見届けた東京ドームのステージ。オリジナルメンバーでの最後の披露となった「アンダー」をめぐる物語は、ここでひとつの完結をみたと言えるかもしれない。

 しかしまたあるいは、11万人もいれば、アンダーメンバーやアンダーライブにそんなに目を向けたことのない観客も多かったことだろう。「アンダー」を初めて聴いたという人だっていたはずだ。あるいは「アンダー」に対して、複雑な思いを抱いたままの人も、もっといたはずだ。
 筆者にとっては感動の詰まった時間だったが、11万人にとってはどうだっただろうか、とも思わなくもない。続く「My rule」でアンダーブロックは終わり、MCでも特段のことが語られたわけではない。
 それでも、それを見届けた11万人に対して、何か伝わるものがあった時間だったと信じてみたいと思う。あるいは、苦しみながらこの場所にたどり着いた「ひめきい」にとって、そのステージ上から見た11万人の姿が、かけがえのないものであればいいと信じてみたいと思う。

「アンダー いつの日か 心を奪われるでしょう
 存在に 気づいた時に…」

 信じなければならないと思う。


・“これから”の乃木坂46、そして

 東京ドーム公演について、それ以降はあまりここで語る必要もないと思う。
 アンダーブロックのあとは、表題曲を6曲続けたうえ最新の「いつかできるから今日できる」でライブ本編を締め、定番曲を集めたアンコールでは再び熱狂の渦、「ここで終わりじゃない」という桜井玲香からの力強いメッセージ、客席とステージを紫一色に染めた「乃木坂の詩」。

 そして2日目ダブルアンコールで伊藤万理華中元日芽香を送り出した「きっかけ」。中元はその最後に、「これからも乃木坂のこと、よろしくお願いします」と呼びかけた。

「みんなから私のことが もし 見えなくても
 心配をしないで 私はみんなが見えてる」

 乃木坂46は、これからも坂を上り続けることだろう。
 だからこそ、あのアンダーライブのステージのことを、ずっと埋まらなかった、ようやく埋まったセンターポジションのことを、そこにいたメンバーふたりの姿を、ずっと覚えていたいと思うのだ。

アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて(4)

(4)「最後のピース」北野日奈子、守り守られた場所で放った光
 (10月20日、宮崎公演)

「みんなから私のことが もし 見えなくても
 心配をしないで 私はみんなが見えてる」


・「みんなから私のことが、もし見えなくても」

 大分公演のセンターに立つ中元日芽香の姿を見て、いくぶん胸に落ちてきた「アンダー」の歌詞であったが、それでもどうしてもわからなかったのが、前掲の冒頭部分である。
 ここだけ、誰のどういった目線で語られたものなのかが見えてこないのである。

 そんなことを考えながら過ごした数日間。筆者は参戦していないが、その間にもアンダーライブ全国ツアー九州シリーズは、1日の空きを挟み、福岡公演が3日間、そして鹿児島公演が行われていた。


・繋がったバトン、北野日奈子復活のステージ

 この間、特に語らなければならない事項としては、もちろん10月18日、福岡公演3日目での北野日奈子の復帰だろう。直接その場に立ち会ったわけではないので多くを語ることはできないが、サプライズもサプライズである。毎日のように公式サイトで繰り返される「北野日奈子 欠席のお知らせ」。樋口日奈寺田蘭世、そして中元日芽香が、絞り出すように発した北野に関する言及、あるいは大分で目にした、北野のポジションがいびつに空き、あるいは補われていたステージを思い起こせば、北野自身もぎりぎりのところで、ステージに立つべく戦っているだろうことは痛いほど想像できた。
 一方で、ここまで欠席が続くと、それでもステージに立つのは難しいのではないかということも、また正直な印象であった。しかしその日、「欠席のお知らせ」が出ることはなかった。当たり前のことだが、かと言って「出席のお知らせ」が出るわけでもない。
 そして開演時刻、ステージには北野日奈子の姿があった。現地の熱狂と歓喜は数々伝えられるところであり、また筆者自身も本当に驚いたし嬉しかった。スマートフォンの画面で見た「北野日奈子復活」の文字列だけで、ほとんど感極まりそうだった。

 ステージに上がるべくずっと、「気持ちの限界」まで戦ってきた中で、何が最後に彼女をステージに押し上げたのかは、わからない。しかし一方で、中元日芽香について「体調を見ながら」というアナウンスがあり、Wセンターのそろい踏みは「アンダー」の1曲のみとなった。
 「真夏の全国ツアー」で、寺田蘭世渡辺みり愛、そして樋口日奈が繋ぎ守ったセンターポジション。そのバトンは、アンダーライブの舞台を目指して戻ってきた中元日芽香へ、そしてさらに、ずっと埋まらなかった最後のピースである北野日奈子へと渡ったのである。


・ようやく揃ったすべてのピース、千秋楽

 迎えた千秋楽、10月20日の宮崎公演。
 ついにWセンターが、18thシングルアンダーメンバー18人が全員揃った状態で、ステージの幕が上がった。
 北野のダンスは特徴的である。メンバー随一と言っていいほど、とにかく動きが大きい。
 中元のダンスは、北野ほど動きは大きくないものの、振りと眼差しの強さを感じさせる。
 センターポジション、「ゼロ番」を挟んで並び立ったふたりのダンスは対照的でもあり、しかし、ずっとそうしてきたかのような不思議な調和を保っているようにも感じられた。

 そしてライブ中盤、筆者としては初めて目にする(そして最後になるかもしれない)、Wセンターをそろえて、18人で披露される「アンダー」。
 感じたことをそのまま書けば、何事もなく過ぎていったように思う。中元も、北野も、そして18人全員が、それぞれの個性を発揮しつつ、それをチームとして調和させてしっかりとパフォーマンスを繰り広げていた。もはや初披露ではないということもあるだろう。朗読の演出以上に、振りかぶって繰り出すような曲でもないのかもしれない。
 しかしこの曲が大過なく、全員で演じられたということ自体が、この3ヶ月間の、メンバーたちの戦いの所産だろう。そう思うと、不思議なほどに涙が出てきた。


・「心配をしないで、私はみんなが見えてる」

 アンコールでの中元のMC。彼女らしく、ひとつひとつの言葉が強かった。
 「どうかわたしを引きとめないでください」。3年半の通院を明かした上できっぱりとこう言って、経験したつらさを正直に吐露し、最後は他のメンバーと、そのファンにまで向けたメッセージで締める。「アイドルを応援できる時間は有限だから、タイムリミットが見えて焦るのではなく、常日頃から愛を伝えてあげてほしい」だなんて言えるのは、去り際の中元日芽香だけだろう。

 そしてその中で中元は、「わたしがいなくなっても心配しないでください」と言った。
 総じて曖昧な記憶に頼って書いているから、正確ではないとは思う。自分の思うことを仮託しようとしすぎているような気もする。
 でも確かに「心配しないで」と、中元日芽香は言った。
 その言葉で、「アンダー」の冒頭の歌詞が、ようやく胸に落ちた。

「みんなから私のことが もし 見えなくても
 心配をしないで 私はみんなが見えてる」

 中元自身ももちろん、この曲の歌詞の受け止め方に苦しんだメンバーのうちのひとりである。
 別の公演のMCでは、「自分の6年間を否定されたような気持ちになったこともあった」のように語ったとも聞く。確かに2年前頃のアンダーセンター時代の中元や、同じように選抜入りを目指して苦闘している(してきた)メンバーたちへの当て書きだとするならば、確かにこんなに残酷で悪趣味なことはない。
 しかし筆者は、この曲は「卒業を決めた中元日芽香」への当て書きだったと考えてみることにしたい。無念を含みながらも自分で卒業を決めた彼女の6年間を称え、歌い継がれることで彼女のメッセージを伝え続けるための曲だと思い込んでみることにしたい。
 あるいは当て書きかどうかは、本当のところ関係ない。彼女自身の意図も、もしかしたら関係ないのかもしれない。とにかくこの歌詞に重なるメッセージを受け取ることができて、ようやく筆者自身は、胸のつかえがとれたように思う。


・「太陽の方向がわからなくなっても」

 そして会場が異様な雰囲気に包まれる中、MCのバトンを受け取った北野。この日、MCで口を開くのは初めてだった。
 パフォーマンスでは元気な姿を見せていたし、MC中に隣のメンバーとじゃれあって笑うような姿も見られたが、本編最後の樋口のMC中には少し苦しそうな様子で、隣の寺田に顔をのぞき込まれたりもしていた。
 だから少し、心配だった部分もないではない。しかし彼女は彼女らしい芯の強さを感じさせる口調で、アンダーライブがあったから戻ってこられた、と言った。そして予期していたよりいくぶん饒舌に、自らと中元のことを語り始めた。

 アンダーライブをはじめ、中元には先輩として、目に見える部分でも、またその背中でも引っ張ってもらってきた。その一方、隣やシンメトリーのポジションに入る機会を多く得てきた中で、自分と似た部分があるとも感じてきた。14thシングルの選抜発表後、自分が声をかけても聞こえないくらい泣きじゃくる中元の姿を見て、それが自分自身の姿でもあるように思った——
 それだけ盟友と信じた中元が自分にも誰にも相談しないで卒業を決めた。いかなる事情があるとはいえ、そしてそのいくぶんかは北野自身もうかがい知る部分があっただろうとはいえ、そのショックは計り知れない。事実、彼女もそれを率直に口にしたし、中元がそれを詫びる場面もあった。そのこと自体が、盟友としてのふたりが直面した最後の試練を、乗り越えつつあることの証左であろう。
 「ひめたんには……幸せになってほしいですねえ」。最後には少し茶化すようにそう言って、くしゃっと笑う。21歳になるに前後して、自分らしさがわからなくなった、と北野は語っていた。しかし、迷い悩み戦いながらたどり着いたアンダーライブのステージ上。我々の知る「きいちゃん」が、そこにはいた。

「太陽の方向なんて 気にしたことない
 今どこにいたって やるべきことって同じだ」

 そして彼女も、自らの未来について語る中で、「下を向いて太陽の方向がわからなくなっても」という言葉を使った。すでに胸がいっぱいだった筆者はこのあたりの記憶がほとんどないけれど、ここだけはしっかりと覚えている。
 北野も「アンダー」の歌詞を、自分なりのやり方で、受け止めることができたのだろう。そう信じたい。


・「アンダー」が放った、「僕だけの光」。

 もうひとつ触れておかなければならないように思うのは、セットリストでは本編最後の曲だった「僕だけの光」である。15thシングルの、選抜メンバーによるカップリング曲。そこだけを見れば意外なチョイスであり、初演の際に客席のどこかから「えっ?」という声が漏れたこともよく覚えている。
 しかし「アンダー」の歌詞と、ある意味で対になっている部分があると考えると、筆者にはとてもしっくりくる。

「太陽の方向なんて 気にしたことない」
「太陽が霞むくらい 輝いてみせる内面から」

「影は可能性 悩んだ日々もあったけど
 この場所を 誇りに思う」
「君だけの光 きっとあるよ
 忘れてる場所を思い出して」

「影は待っている これから射す光を…」
「今 やっと光 手に入れたよ」

 18人全員にそれぞれ違う光があって、とMCで樋口日奈が語っていたように、ステージ上でのポジションは様々あれど、長く活動を続けてきた中で手に入れた、それぞれの個性があり、役割がある(そこには多く立ってきたポジションや、あるいはより前のポジションを求める姿勢も含まれるけれども)。
 「美しいのはポジションじゃない」という歌詞を、筆者はそう受け取っている。

 野暮かもしれないが、もうひとつだけ付け加えたい。中元日芽香北野日奈子は、今回のアンダーライブでふたりだけの、「僕だけの光」オリジナルメンバーでもあった。
 当時のアンダーセンターは、そのふたりからアンダーライブを引き取った樋口日奈である。そして樋口はもう一度アンダーセンターとして、この冬にアンダーライブを迎える。


・「アンダーセンター」という場所

 アンダーセンターというポジションに立つことは、希望でもある。
 これまでアンダーセンターに立って、そのまま下がる一方で終わったメンバーはいない。

 選抜とアンダーを行き来しながらアンダーセンターに立ち、その後不動の人気メンバーとなった齋藤飛鳥がいて、伊藤万理華がいて、井上小百合がいる。
 選抜未経験ながら、然る後にその座を手にした畠中清羅がいて、伊藤寧々がいる。
 初期からの選抜メンバーでありながらアンダー時代も長く経験し、しかしそれでも前進を続ける中田花奈がいて、斉藤優里がいる。
 選抜の1列目までを経験しながらアンダーに落ち、しかしその後再び福神に返り咲いた星野みなみがいて、堀未央奈がいる。
 長いアンダー時代の中で少しずつポジションを前進させ、選抜入りとの境界線で18th・19thとアンダーフロントを務める、樋口日奈がいて、寺田蘭世がいて、渡辺みり愛がいる。
 そして誰より、中元日芽香がいる。

 アンダーセンターは、単なる「アンダー筆頭」「選抜次点」では決してない。
 誰も代わりのいない、栄光と未来のある「センターポジション」なのである。


・希望と未来〜「ひめきい」によせて

 18th「アンダー」センター、中元日芽香北野日奈子
 中元は限界を感じて「引きとめないでください」と卒業してしまうし、北野も千秋楽の宮崎公演直後にもイベントへの欠席が伝えられるなど、まだ全快ではない状況である。だから未来は明るいぞ、と大声でエールを送るつもりはない。
 しかし、思い入れの強いメンバーであるこのふたりの行く先に、希望があることを信じてみたいとも思う。

 ゆっくりでいい。また元気になった北野日奈子の、再始動と反転攻勢を見てみたい。
 引きとめるつもりはない。中元日芽香のこれからに、素晴らしい未来が訪れることを願っていたい。

 「乃木坂46のファン」としての筆者の時間は、このふたりから始まったと言っても過言ではない。
 繰り返すが、今回のアンダーライブ、初演にも千秋楽にも立ち会えて、本当によかったと思う。


 まだ咲いてない花がある。客席の誰かが気づく。
 ここをひとつの大きな区切りとしつつ、またこれからも、応援を続けていきたい。

アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて(3)

(3)「アンダーセンター」中元日芽香、空席のシンメトリーポジション
 (10月14日、大分公演)

「アンダー 今やっと 叶った夢の花びらが
 美しいのは ポジションじゃない」


・開演2時間前、「欠席のお知らせ」

 ついに始まったアンダーライブ全国ツアー九州シリーズ、その初日となる10月14日の大分公演。
 北野日奈子の欠席が発表されたのは当日午前のことだった。

 発表のタイミングでは筆者はちょうど機上の人で、公式サイトでその報を知ったのは、空港で佐伯市行きのバスの到着を待っていたときであった。
 誤解を恐れずに言えば、やっぱりな、というのが第一印象であった。恐れていた事態が起こってしまった、と言い換えてもいい。同じく直前の「真夏の全国ツアー」新潟公演を欠席していたという点では中元日芽香も同じであったが、中元は「らじらー!」などで、アンダーライブのリハーサルに取り組んでいる旨を発信し続けていた。一方で北野からは何も発信がないまま、周囲のメンバーからのコメントだけが何度も発せられていた。
 なんだかんだで元気な姿の「きいちゃん」が見られることを、期待していなかったわけではない。だから落胆がなかったといえば、それは嘘になる。北野の体調も、あるいは中元の体調も、ファンには本当のところはわからない。ただひとつすでに確かなのは、そのスタートから支えてきた中元日芽香にとって、今回の九州シリーズが最後のアンダーライブになること。そして「ひめきい」がWセンターとして立つステージも、今回が最後となる公算が大きいことであった。
 無理はしてほしくない。でも筆者はとにかく、たとえどんなステージでもいい、Wセンターとして輝く「ひめきい」を見たかったのである。

 感情の整理がつかないまま乗ったバスの車中。
 リリースから2ヶ月以上の間、好んで繰り返し聴いてきた「アンダー」が、よくわからなくなった。
 歌詞やその曲としての位置づけにどのような意味があったとしても、それがメンバーにとってどうやっても受け入れられないものであるならば、好きであることは難しい。


・「センター」中元と、空席のシンメトリーポジション

 しかし、しょげている場合ではない。「ひめたん」久しぶりのアンダーライブ、久しぶりのステージである。パフォーマンスもセットリストも楽しみで仕方なく、また乃木坂46のライブとは思えないステージと客席の距離に、単純にテンションが上がってもいた。
 定刻の13時に幕の上がったステージ。
 その中心に立つ中元日芽香は、確実に我々の知る「アイドル・ひめたん」だった。

 自由の彼方、嫉妬の権利、不等号。
 中元日芽香が中心となって矢継ぎ早に繰り出されたアンダー曲の数々は、間違いなく乃木坂46の歴史であった。あるいは「ブランコ」で、オリジナルでは存在しない最後列のポジションに入るところも感慨深かった。
 ガールズルール、太陽ノック、裸足でSummer
 明るい夏曲のパート。ステージの中心で、あるいは客席の中に立ち、明るく歌い踊る姿が目に焼き付いている。欠席がわかっている仙台公演のときに買った推しメンタオルをたまらず振ったら、勘違いでなければ(勘違いでもいいけど)レスがもらえた。最初で最後かもしれないと思った。

 しかし、ただただ安心して楽しんでいたばかりでもない。
 MCの回しはさすがだったが、企画のコーナーではステージから退いて姿を見せることはなく、体調ないしは準備の厳しさをうかがわせる場面もいくつかあった。
 そんな中、ライブ中盤で披露されたのが「アンダー」であった。

 パートの始まりとなる歌詞の朗読では、北野のところに樋口が入っていた。
 ペアになってターンする振りのところでは、中元だけがひとりでターンをしていた。

 センターポジションの存在を前提とするならば、Wセンターは特殊な形である。
 Wセンターがふたり立っているべきところにひとりで立っていても、左右対称が崩れないぶん不在が際立つことは少ない。
 しかしあまりにもいびつなその「アンダー」を見て、あるいはそのステージを支える17人のメンバーを見て、ここは18人のメンバーが作ってきたステージなんだな、とはっきりと感じる部分があった。
 中元は「きいちゃんがリハーサルをずっと引っ張ってくれた」と言い、樋口は「18人でこのステージに立ちたかったけど、人間には気持ちの限界というものがあると思う」と言う。
 北野日奈子という最後のピースを残したまま、この日の初演は完成をみたのである。


・「美しいのはポジションじゃない」

 この日、中元日芽香にとっては初披露となった「アンダー」を見て、筆者の中で少し、この曲の歌詞が胸に落ちたところがある。

「アンダー 今やっと 叶った夢の花びらが
 美しいのは ポジションじゃない」

 美しいのはポジションじゃない。では、「美しい」のは何なのか、と考える。
 あくまで、美しいのは花びらであって。そこに花が咲いたとして、それは咲いた場所が目立つ、美しい場所であるから美しいのではない。

 選抜に入れば美しいのか、センターに立てば美しいのか。そうでなければ美しくないのか。我々が魅せられたのは、「アンダーセンターの中元日芽香」だったのか。それとも「選抜メンバーとしての中元日芽香」だったのか。
 いずれも違うと、筆者は思う。
 確かに、選抜入りを目指して戦い、アンダーライブを引っぱる中元の姿勢も、念願だった選抜入りを果たして音楽番組で輝く中元の活躍も、どちらも美しかっただろう。
 しかしそれは、そこにいるのが他でもない彼女であるからであって、そのポジションが本質ではないのである。

 今回「アンダー」のセンターにいた中元日芽香は、18thシングルのアンダーメンバー、アンダーセンターではあったものの、すでに卒業を決めて19thシングルには参加しておらず、「選抜メンバー入りを目指す」という立場になくなったという意味では、「選抜メンバーでもアンダーメンバーでもない」存在であった。
 そこにいるのは「アイドル・中元日芽香」ただひとりであって、それ以上でも以下でもなかった。
 こうした特殊な立場で、彼女がステージに立ってくれたことによって、「美しいのはポジションじゃない」ということの本当の意味が、いくぶん理解できたと思える。


中元日芽香、全力の「ウイニングラン

 近い目標や指標として、選抜入りやポジションの前進をとらえることはもちろんあるし、必要なことでもある。事実として中元日芽香は、アンダーメンバーという場所で誰よりも選抜入りを目指して戦い、アンダーライブの中心で歌い踊り、乃木坂46という場所で青春を燃やし尽くし、みずからの力で最終的に選抜の壁を破った。

「私は本当に仕事が好きでした。
 青春を全て投じるだけの価値が
 このグループにはありました。」

 かねてより「アイドルになることが芸能界でのゴール」と語り、事実卒業とともに芸能界を引退する彼女にとって、今はもう、たぶんラストスパートではなく、ウイニングランなのである。
 誰よりもファンの声が聞こえている中元自身が「もう無理だ」と決断したからこその卒業。それでも、あるいはだからこそ、最後までアイドルとしてステージに立つ。
 全力で、不器用で、決死のウイニングランなのである。

「卒業したら私はメンバーのことをそばで支えることはできなくなってしまうけど、それはここにいる皆さんに託したいと思います。」

 この日のMCでそう語った中元日芽香は、ステージに立つ限り、誰よりも、誰にとっても全力のアイドルである。
 大分公演、初演のステージ。確かにそこには大輪に叶った夢の花びらがあった。

アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて(2)

(2)アンダーライブ前夜(卒業発表、体調不良、真夏の全国ツアー)

「時々思った 『私の夢なんて叶うのかな』
 眩しすぎるわ メインキャスト」


・中元と北野の「これまで」

 18thシングルアンダー曲「アンダー」のWセンター、中元日芽香北野日奈子
 特に乃木坂46が急成長を遂げた2015年前後の時期、ともすれば遠ざかっていくように思える選抜入りに向けて、誰よりももがき苦しみ戦ってきたメンバーといえるかもしれない。初選抜から長い時間をかけ、最終的に15thシングルという同じタイミングで、自らの力で「選抜の壁」を破ったふたり。このふたりがWセンターというのはしっくりくるフォーメーションでもあり、しかし、それがアンダーセンターというのは複雑なところもあった。
 しかもそこにあてがわれたのが、この「アンダー」という曲である。
 アンダーセンター回数が最多を数える中元と、センター曲がないことを気にしていた北野。このふたりがセンターで歌う「美しいのはポジションじゃない」というフレーズは、アンダーライブがはじまる以前より連なる「アンダー残酷物語」ともいうべきストーリーとも、全体のライブ以上に熱く挑戦的なステージを作り、乃木坂46を押し上げてきたアンダーライブの系譜とも異なる、あまりにも複雑で名状しがたい何かをはらんでいるようにも思えた。

 そんなもやもやとした感情はあったものの、一方でアンダーライブの開催も少しずつ近づいていく。1年以上ぶりのアンダーライブのステージで、中元と北野が強いまなざしでセンターポジションに立ち、また新たな挑戦を始めてくれる。そしてまたあるいは、独立部隊としても活動を続ける3期生の存在にも鑑みれば、アンダーライブのあり方も少しずつ変わっていくのかもしれない。アンダーアルバムの発売とあわせて、記念碑的な作品にもなるのだろうか。
 なんとなく、筆者はそんなことを考えていた。
 しかし「アンダー」を取り巻く状況は、アンダーライブの開催を待たずに急転直下の変動を見せる。


・中元の卒業発表、北野の体調不良

 まずは何といっても、8月6日の「らじらー!」である。
 中元日芽香の突然の卒業発表。同じく「らじらー!」でのサプライズ復帰からわずか4ヶ月半での出来事であった。あわせて、「真夏の全国ツアー」地方公演の全欠席も発表された。
 ブログでふと儚げな発言をすることはあったものの、その前週の放送回ではオリエンタルラジオと「全国ツアーのどこかでツインテールを」のような会話もしており、8月13日の仙台公演に参戦する予定であった筆者もそれを楽しみにしていた。あるいは18thシングルリリース直後の公演ということで、アンダーセンターとしての姿を見られる、「アンダー」にまつわるもやもやを、いくぶんか払拭してくれるのではないか。そんな期待をしていた矢先でもあった。
 思ったより早かった休養からの復帰、直後に迎えた神宮に始まるライブの夏。確かに体調面の不安が、いちファンとしても少しよぎる部分もあった。無理してほしくないな、とも思っていた。
 しかしこのタイミングでの卒業発表は、まさに寝耳に水だったと言っていい。

 これだけではまだ終わらない。前後して、北野日奈子の体調面が取りざたされることが多くなった。
 元気なイメージのある北野だが、ファンとしてはあまり「身体が強い」というイメージはなく、多忙な時期になると握手会を中心に少し、急な欠席がみられることもあるというメンバーではある。
 そしてまた一方で、感情がまっすぐなのが北野日奈子だとも思う。1年ぶりの選抜落ちに彼女自身も思うところがないわけがない。しかし、7月5日の「レコメン!」の代打出演や、「逃げ水」アンダーとしての音楽番組への代打出演、7月15日のめざましライブへの出演など、それでも彼女らしい元気な姿を見られる場面がいくつかあり、率直に言えば、その姿を見るたびに胸をなで下ろしていたようなところもある。


北野日奈子の「明らかな異変」

 しかし、中元日芽香の卒業発表直後の「真夏の全国ツアー」仙台公演。身体は動いているのに笑顔のない北野日奈子の姿が次々と話題にあがる。極めつけは初披露となった「アンダー」、単独センターの形で踏んだステージでの号泣のパフォーマンス。筆者が参戦した8月13日(仙台での最終公演)も、泣いている様子こそなかったものの、元気な様子が見られたとは言いがたかった。
 そして、8月16~18日の大阪公演を欠席。その後愛知公演には出演したものの、その後のイベント等への出演予定は体調不良により欠席となることが常態化する。ブログの更新も、19thシングルの選抜発表とイベントの欠席に関するものを最後に途絶え、「しばらくは皆さんの思いや期待にこたえられない状況が出てきてしまうと思います」という言葉で最新のブログが締めくくられているという状況であった。

 10月、アンダーライブの前週にあたる全国ツアー新潟公演も、おおかたの予想通り全欠席。
 それでもセットリストに組み込まれ続ける「アンダー」では、両脇のポジションから繰り上がってWセンターの形となっていた寺田蘭世渡辺みり愛の強い眼差しが悲しくも曲とマッチしていたことをよく覚えている。
 アンダーライブについてのMCでは、「今日は全員揃っていないけれど、アンダーライブのステージは絶対に18人で」という趣旨のことを、すべての公演で樋口日奈寺田蘭世が口にしていた。それは希望であり、安心であり、しかしどこかに悲壮感もあり、中元と北野のおかれた状況の難しさを感じさせるものでもあったように思う。

 ただこの夏の思い出を、語っただけのようにになってしまった。
 次はいよいよ、アンダーライブと「アンダー」に触れていくこととしたい。

アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて(1)

 

 

(1)「アンダー」前夜(選抜発表から音源解禁まで)

「誰かに聞かれた 『あなたの人生はどこにあるの?』
 当たっていない スポットライト」


 乃木坂46・18thシングルアンダー曲「アンダー」。
 アンダーメンバーの葛藤にぴたりと重なるあまりにもストレートな歌詞、そしてタイトル。歴代の楽曲のなかで、これほどまでにどう受けとっていいか迷った曲はない。メロディ・歌詞とも、個人的には指折りの好きな曲でもあった。冷たい仕打ちだと切り捨てて怒るのはファンとしては簡単で、しかしこの曲を受け止めてステージに立たなければならないのはメンバーなのである。

 また筆者は今年、アンダーライブ全国ツアー九州シリーズの初演と千秋楽に参戦する機会に恵まれた。その感想を、「アンダー」に関する逡巡とともに述べようとするのが、この文章である。

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・久しぶりの「選抜落ち」と「アンダー」

 「アンダー」という曲名が公開されたのは、7月14日。
 その2週間前の明治神宮野球場において、アンダーライブ全国ツアー九州シリーズの開催と、アンダーアルバムのリリースが発表されたというタイミングでもあった。その時点で、何か重要な意味合いを持つ曲であることは、誰にとっても察しがついていたといってもいい。直前の「乃木坂工事中」では、3期生の大園桃子与田祐希のWセンター抜擢と、17thシングル選抜メンバーからの斉藤優里中田花奈樋口日奈北野日奈子寺田蘭世の選抜落ちが発表されてもいた。

 曲名公開からさらに1週間後。7月21日の「沈黙の金曜日」において、ほぼフルに近い形で音源が解禁された。ポジションまでは特定できないものの、表題曲「逃げ水」と同様のWセンターであることは歌い出しから特定できた。そして、その歌い出しを歌ったWセンターのうちのひとりは、その声から間違えようもなく中元日芽香であったし、18thアンダーメンバーの名前を並べながらもう一度音源を聴けば、もう一人は疑いようもなく北野日奈子であった。実際には勘の部分も多少は含まれていたかもしれないが、それは確かに当たってもいた。
 そうして筆者の逡巡が始まった。楽曲の正式リリースまでの間も、何度も録音した音源を聴いた(曲紹介のときの中田花奈アルコ&ピースのやりとりまで、いまも鮮明に覚えている)。

 選抜メンバーの変遷をたどれば、前述の5人の「選抜落ち」(選抜メンバーからアンダーメンバーへの移動)は、15thシングルでの伊藤万理華井上小百合以来、1年以上ぶりのことであった(この間選抜メンバーから外れたのは、卒業した深川麻衣橋本奈々未と、休養に入った中元日芽香のみ)。その前をさらに遡るならばさらにシングルが1枚飛び、13thシングルでの斉藤優里新内眞衣にまでなってしまう。
 遡れば劇場をもたないこと総選挙のようなものを行わないこと、あるいはアンダーライブの存在も含めて「選抜とアンダー」という区分けが、乃木坂46の大きな特徴のひとつであった。一方でかつてのように激しい選抜・アンダー間のメンバーの往来はなくなり、「選抜の固定化」が語られるようにもなっている。
 そのようななかで3期生が加入し、選抜入りも期待される頃合いである。秋元真夏堀未央奈の例を改めて引くまでもなく、何かここ数年にはない動きがあることが予見されていたところでもあった。そのタイミングで、3期生抜擢とセットで満を持して切られたのが「選抜落ち」というカードであったように思う。


・筆者にとっての中元日芽香北野日奈子

 偉そうに歴史について少し述べてきたが、筆者自身が乃木坂46に出会ったのは14thシングル期のことである。最初にきちんと見た選抜発表は15thのそれであり、齋藤飛鳥のセンター抜擢がもつ意味も、福神に復帰した松村沙友理の涙の意味も、正直に言えばそのときはよく理解できていなかった。
 同じく、中元日芽香北野日奈子の選抜入り、伊藤万理華井上小百合の選抜落ちの意味もよくわかっていなかったといってもいい。しかしだからこそ、筆者にとって中元日芽香北野日奈子は特別な思い入れのあるメンバーでもある。裸足で砂浜に歌い踊る中元と北野は、筆者にとって(選抜メンバーとしての)乃木坂46の第一印象に含まれるのである。

 だから16thシングルでふたり揃って連続での選抜入りを果たしたときは嬉しかったし、あるいは「連続での選抜入り」がもつ意味も、もう少しわかるようにもなっていた。中元・北野・中田・堀・寺田によるユニット、サンクエトワールが2曲目「君に贈る花がない」をもらったことも明るい材料であった。だからこそ中元が休養に入ったときはショックが大きく、さらに17thシングルでは中田と寺田が揃って新たに選抜入りを果たし、サンクエトワールの全員の選抜入りもあったかもしれないと思うと歯がゆかった。

 話を「アンダー」に戻したい。久しぶりに切られた「選抜落ち」というカード、落ちてしまったメンバーにあてがわれたのがこの曲かと思うと、正直なところ感情をどこへ置けばいいのかわからなかった。一方で、曲としては非常に好きなメロディであり歌詞であった。あるいはこのタイミングでこの曲があてがわれた意味も、何かあるはずだと感じる部分もあった。